黒坂岳央氏の2/8付けアゴラ記事「宮崎駿氏に学ぶ『頑張ることの真の意味』」へのコメントです。
教育の場においては、頑張ってくれるのは大いに結構なことで、頑張る学生は大いに褒められる。教育の目的は学生に力を付けさせることですから、学生が努力して学んでくれるのと、そうでないのでは雲泥の差があるのですね。でも、社会に出てお金を稼ぐ段になりますと、生み出した価値がすべてであり、頑張ろうがさぼろうが、アウトプットが同じならどちらでも構わない。
と、いうわけで、努力に対する評価は、自らが力を付ける場なのか、他人のために価値を生み出す場なのかで、「大いに評価」から「関係ない」まで変化するわけですね。会社に入っても学生気分の抜けない人は、なんで~、ということになったりします。
ところが、社会人になったから自らの力を付けなくてもよいというわけでもない。これを業務として意識して行うのがOJT(On the Job Training)であるわけですね。そうなりますと、社会人にも学生的な要素があるわけで、やはりここは頑張ってもらわなくてはいけない。ただしその評価は、頑張ることではなく、その結果どれだけ成長したかで測られる。でも、成果を出さず、頑張りもしないと、それなりにマイナスの評価を受けてしまいます。
この最後の部分を避けるための「エクスキューズ(言い訳)としての努力」なんてのもあります。仕事が期日までに間に合わないとき、さして役に立たないと分かっていながら、休日出勤を繰り返したりする。でも結局できない、当然ですが。この努力「やるだけのことはやりました」という言い訳にはなるのだけれど、たいして評価されないし、要するにこいつは無能だ、という話になったりしますので、注意が必要です。
というわけで、社会において評価されるのは、どれだけの価値を生み出したかという点なのですね。価値を生み出す人は評価されるし、生み出さない人は無能の烙印を押される。そして、価値を生み出す人間になるためには、大いに努力しなくちゃいけません。矛盾した言い分の様ですけど、こちらは、自分のため、ということですね。
以下はブログ限定です。
この「がんばりま~す」というセリフ、「アンドロイドアナ マイコ 2010」の口癖みたいなものなのですね。
このビデオプログラムは、いろいろな形でYoutubeにアップされていますから探されるとよいと思います。一押しは、OP、EDを丹下桜さんがうたっていること、主役マイコの声も丹下桜さんで、彼女のファンの方にはお宝、ということになりそうです。
あ、「がんばりま~す」は#2あたりにたくさん出てまいります。さて、この頑張ります、許されるものでしょうか?
えんやすもがんばれ