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金融危機と情報革命の乗り損ね

岡本裕明氏の4/11付けアゴラ記事「黒田東彦氏の10年、2%の物価上昇はなぜ達成しなかったか?」へのコメントです。


90年代から2000年代初頭まで倒産企業がズルズルと底なし沼のように出てきたことも悪影響を及ぼしました。「うちの会社も危ないのではないか?」と。私が勤めたゼネコンが倒産したのは2002年です。バブル崩壊後、12年間もよく持ちこたえたな、と思うでしょう。

これは「保守的思想」というよりは、バブル崩壊後に表面化した我が国の会計基準の問題だったのですね。つまり、不動産や株式の市場価格は半分以下に下落していたにもかかわらず、取得原価を簿価とする当時の会計制度では、実質破綻している企業もバランスシート上は立派な黒字企業だったのですね。

市場価格の下落分は含み損という形で帳簿上からは隠されておりました。これが会計数値に現れるのは、売却した時。このため、含み損を抱えた資産は塩漬けするしかない。また、こんな会社に追加融資をする人もおらず、動きが取れない。だけどつぶれず、社員役員にはきちんと給与ボーナスが支払われていたのですね。

それがバブル崩壊の1990年から小泉竹中改革の始まる2002年ごろまでつづいた。この改革の柱は、時価会計制度の導入だったのですね。だから、含み損が一斉に表に出て、ゾンビ企業はおろか、大手銀行まで、一挙に経営危機が表面化致しました。もちろん大銀行はつぶすわけにはいかず、メガバンクに再編して公金を注入したわけですね。

これが最初の失われた10年だったのですが、この10年は痛かった。日本企業の改革というものがほとんどストップしてしまった。その1990年代は、情報革命がまさに爆発していた時期だったのですね。これに乗り損ねたことが、その後の失われたディケードを20年、30年と伸ばしていく根本原因となった次第。今更悔やんでも致し方ないのですが、せめてその背景だけでも、掴んでおいていただきたいと思います。

3 thoughts on “金融危機と情報革命の乗り損ね

  1. MITSUNORI MINOSHIMA

    いやそれどころか、経営陣の給与だけ倍加したね。
    無能な上に欲張りときた。
    もはやど三流といってよいね。

  2. mitsu minomi

    あとコストカットが大正義というのもやばい。
    まあ政治も三流だけど、経営陣も3流だったね。

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