中嶋よしふみ氏の5/7付けアゴラ記事「野党衰退のルーツは学生運動にある:立憲的、島田雅彦的な言動の背景」へのコメントです。
なぜベトナムに侵攻するアメリカでなく日本政府に反戦デモをしているのか?と。
ベトナム戦争当時の日本は、ウクライナに侵攻したロシアにおけるベラルーシの立場だったのですね。つまり、米国の同盟国として基地を提供し、様々な便宜を図っていた。だから日本の反戦デモのスローガンの一つは、「日米安保反対」だったのですね。
じつは1970年は、1960年に締結された日米安保条約が10年の期限を迎える年だったのですね。で、1960年安保条約締結時の反対運動が激しかったことから、1969年ごろから締め付けを強化した。折からのベトナム戦争の激化もあり、これに反対する形で学生運動が盛り上がったという背景がありました。
この学生運動自体は、過激派が主導権をとる形で過激化し、良識的な人たちが離れてしまったこと、日米安保条約が1970年に自動延長となり、議論もされなくなってしまったのですね。
ただ、このような動きが無駄だったかといえばそうでもない。過激派が失敗の道を歩んだことは悲劇でもあるし自業自得でもあるのですが、その他の形でこれに参加した人々は、日常を見直す機会になったし、物事を深く考える癖も付けた。これは、様々な社会問題、環境資源問題などを自ら考えなおすきっかけにもなり、その後の日本の技術革新の一つの遠因にもなったのではないかと思います。同じ現象は、米国の情報革命にもあったのですね。まあ、大いなる無駄も、そこにはあったわけですが。
返信がついております。
星光
学生運動のもっとも大きな成果は、民衆が暴力的な革命運動やデモに愛想をつかしたことなのでは?
結果的に自民党政権の長期化に大きく益したのではないかとすら思える。
星光さん
> 結果的に自民党政権の長期化に大きく益したのではないかとすら思える。
さすがに1972年のあさま山荘事件で、大多数の人びとは学生運動から引いてしまったとは思いますが、社共が推した美濃部都政が1979年までつづいたことを考えますと、これが自民党政権長期化に及ぼした影響は小さいものだと思います。この時代の大きな関心事は、ベトナム戦争以外にも、深刻化する公害とオイルショックという、資源環境問題があったのですね。
この時代は、政治を超えて、人類思想が大きな変曲点に差し掛かっておりました。ミュージックシーンでこれを代表するビートルズは、1967年に発表されたフール・オン・ザ・ヒルでインドの思想家を持ち上げた後、1968年にインドを旅行し、1970年に解散。米国では1969年にウッドストック音楽祭が開催され、メラニーやジョン・フォガティが大きな影響を受けております。
1974年にパーシグが発表した「禅とオートバイ修理技術(上)、(下)」は、オートバイ旅行を続けるヒッピー風人物の精神内容を記録した書物で、主観と客観、理性と感性の分離以前の、クオリティに代表される精神的概念について論じているのですが、その題名である「Zen and the art of XXXX」は後に出版された多数の情報技術関連書籍の表題となっております。
ここに共通してみられる動きは、理性重視から理性以前の精神世界の重視という流れであり、それはインド思想や我が国の『禅』の主張するものでもある。そしてこれは理屈を通してではなく、親鸞が流配された越後の地で、パーシグがオートバイの上で、ウッドストックの聴衆が雨に打たれて初めて得たものであり、神田の街頭で機動隊の催涙ガスを浴びた学生たちが得たものでもあった。と、たぶんそういうことではないかな?
「禅とオートバイ修理技術」に関しては、こちらで解説しております。
いちご白書をもう一度、です。ユーミン、ってこの世代だったのでしょうかね。
AKB(ってか、まゆゆ)だって負けてはいない。翼はいらない、です。(これがきつすぎる方にはこちらをご提供いたします。)ここまでくると全然違うが、、、
ルパン三世いー