アゴラ編集部の3/6付けアゴラ記事「日本が服役中の受刑兵の移送を検討: 日米を揺るがすアルコニス問題」へのコメントです。(前回記事はこちら)
問題は、日本の捜査当局や司法が公正であるという認識が、国際的に十分に得られているとは言えない状況にある点でしょう。これに似た状況は、韓国や中国にも共通してみられる点であり、我が国は、彼らを軽蔑して済ませておけばよいというものでもないのですね。
我が国のこれら機関がフェアネスに疑問を抱かせる原因としては、警察や検察の裏金作りをめぐって公正さを疑われる事案がいくつかありましたし、独占的なメディアと結託する形での報道管制がなされているという指摘もありました。朝日記者らと検察幹部とのかけマージャンなど、その象徴的なものでしょう。
このあたりの事情は、魚住昭著「官僚とメディア」に詳しいのですが(解説はこちら)、検察の裏金作りを指摘した三井環氏が通常は不起訴となる程度の微罪で起訴されてしまったことは、隠しようのない汚点となっております。Winnyの先駆者金子氏の悲劇も、警察の裏金作りが公になってしまった意趣返しとの指摘も説得力を持ってしまいます。
こういうことが一つでもありますと、他の事案も疑われてしまう。ゴーン氏に対する同情的な見方が広がったり、更には入管だって似たようなことをしているのではとの疑いもいだかれてしまう。現に、少々問題のある行為もあったようですが。
検察、司法とマスメディアが結託すれば、我が国の内部ではこの手の話題は大きく扱われることはない。しかし、このような考え方が世界的な常識になってしまうと、我が国の独立性を真に認めさせることは困難になってしまいます。力を持つものはまず己の身をきれいにすること。これが近代的な国家であるための第一の条件なのですね。
まあ