池田信夫氏の8/24付けアゴラ記事「『ゼロリスク脳』に政治が振り回された10年」へのコメントです。
福島の事故対策は、石棺方式がベストだったのではないでしょうか。
それを元通りにするというから、いろいろと無理が生じる。
凍土壁も、おかしな小細工をせずに、コンクリートできちんと止水をするべきだったように思います。
このような未経験の事態に対しては、最初からできるかどうかわからない約束などせずに、安全かつローコストなやり方を志向して、被害の出た人には補償するという形で行くべきだったのではないかな?
いまさら何を言っても始まらないのですが、、、
返信がついております。
星光
石棺方式は知事による強い反対があって撤回させられたようですね。おそらく、今後、いよいよそれしか選択肢がない(デブリの取り出しが不可能)となれば復活するのかもしれません。
石棺方式でいくにせよ、処理水については、海洋放出が安全かつローコストな解決策であることに変わりないのでは?
瀬尾 雄三
星光さん
> 処理水については、海洋放出が安全かつローコストな解決策であることに変わりないのでは?
これは否定いたしません。じつは、放射性廃棄物も海洋投棄が、一番ローコストで、しかも少々の廃棄物を投棄したところで環境問題はまず起こさないのですね。過去にロシアは、放射性廃棄物の海洋投棄を実施しており、これによる被害は報告されていないのですね。
実際問題として、海は広く、海洋水の量は無限に近い。ここに何を捨てても、いずれは薄まり、何の問題もなくなる。これは事実ですけれど、そんな考えに冷や水を浴びせたのが、1968年のクリスマス、月周回軌道上のアポロ8号が撮影した「地球の出」の写真だったのですね。
これで人々ははっきりと知った。地球は暗黒の宇宙に浮かぶピンポン玉みたいな存在だということを。そしてその表面に薄くへばりついた、有限の大気と水で人々は生きているということを。最も遠いところまで探検に出かけた人たちの最も重大な発見は、なんとこの地球だったのですね。
そこで人々の意識が変わり、ロンドン条約が制定され、放射性廃棄物の海洋投棄が禁止された。ジョブズ絶賛の「ホール・アース・カタログ」も、この精神を表しておりますし、そもそも最近はやりのSDGSもこの延長上にある。この精神を、まずは尊重しなくては、アジア人は馬鹿にされるだけです。
がんばれ水素