田原総一朗氏の8/31付けアゴラ記事「78回目の終戦記念日、『朝生』で若い世代と考えた『戦争と平和』」へのコメントです。
2学期が始まると、「この戦争は聖戦だ。お前たちも国のために死ぬんだ」と言っていた教師たちが豹変した。「一部の悪い指導者たちが始めた、悪い戦争、間違いだった」と言うのだ。戦争に負けた途端に、言っていることが180度変わる。「大人たちは信用できない」と思った。これは、僕のジャーナリストとしての原点だ。……
作家の古市憲寿さんは、「コロナ禍の3年間、人々はこんなに簡単に同調圧力に屈する、一方向に流れるんだということが、ショックだった」と話す。古市さんの危惧は、戦時中の空気を知っている僕としても、よくわかった。
これはその通りなのでしょうが、ではそのご理解がジャーナリストとしての活動に生かされているのでしょうか。
「簡単に同調圧力に屈する、一方向に流れるんだ」というのは、まさにジャニーズ事務所のセクハラ事件でも生じている話ですよね。それに対して、ジャーナリストの一人として田原氏は何をなされたのでしょうか。
我が国の報道の自由度は、世界で68位とのニュースも流れておりました。こんな数字にさしたる意味はないにしても、我が国の司法に対する国際的信頼が地に落ちている原因の一つに、我が国ジャーナリズムと警察・検察の癒着関係が挙げられております。こんなことでよいのでしょうか?
戦争反対を叫ぶだけなら楽なものです。本来のジャーナリストに求められる責務は、世の中の流れに逆らってでも、伝えるべきことを伝えることではないのかな? それがなされているかどうか、世界はどう見ているか。その答えが「報道の自由度68位」じゃないでしょうか?
この問題に関しては、過去記事「日本ジャーナリズムの問題をめぐる書物を読む」でも扱っております。
同調圧力