中村仁氏の12/1付けアゴラ記事「異次元緩和の出口を黙殺した黒田・前総裁の『私の履歴書』に失望」へのコメントです。
日本の経済を考えるとき、その問題が「失われた30年」と呼ばれていることを思えば、超長期的スパンで考えなくてはいけないと気付かなくてはいけません。(参考)
何から始めるかはいろいろあるでしょうが、まずは1970年代に米国がベトナム戦争で実質的な敗北をきたす。これに反発するかのように、米国は強いドルを目指し、1980年ごろには「ドルバブル」とも呼ばれるドルの過大評価となっていたのですね。このため、日本をはじめとする他国からの輸入が増加して米国国内産業が疲弊する。
これをただしたのが1985年のプラザ合意で、ここから一気に円高ドル安が進む。1ドルが200-250円から100-120円へと、円の価値がほとんど2倍になるのですね。この結果、日本は不景気となり、円高不況対策として、まずは低金利政策に打って出る。この結果が不動産と株式のバブル相場であったわけです。
これに対して、1989年に金融政策を引き締めに転換し、90年には総量規制を掛ける。この結果、バブルが崩壊して、多くの企業が破綻、金融危機へと進むわけです。円高不況対策は引き続き行われたのですが、国債を大量発行して公共投資を拡大する形で行われた。これもいつまでも続けることはできず、2000年以降に小泉改革がおこなわれたわけです。
小泉改革では、実質破綻している企業を破綻させ、危機に瀕した金融機関をまとめて公金を注入、郵政などの民営化も進めたわけですが、構造改革は中途半端に終わっております。(続く)
(続き)その後の自民党政権は、小泉改革を継承することができず、構造改革は不徹底のままに終わっております。これに関しては、小泉政権でも難しかったわけですから、あとの政権を悪く言うこともできないのですね。一方、海外発の問題として、2008年に住宅債権を証券化したサブプライムローンが不良債権化し、リーマンブラザーズが破綻する、リーマンショックが発生します。
そのような経済的困難の中で、民主党政権が誕生する。ここで大問題であったのは、リーマンショックに対応して海外が大規模金融緩和に踏み切ったのに対して、我が国の金融緩和は不徹底だった。その結果、極端な円高が進み、国内産業が海外に逃避する空洞化が発生する。これまで黒字を続けていた貿易収支は、一転、赤字幅を拡大し続けます。
そして、政権は再び自民が取り戻し、アベノミクスとなります。ここで、我が国も大規模金融緩和に踏み切り、極端な円高は解消され、貿易収支の赤字拡大も止まります。ドル円は元の水準に戻りますが、一旦海外に出た工場は返っては来ず、貿易収支は元のレベルには戻らない。
で、岸田政権になって、やっと1ドル100-120円のレベルを上抜けし、1ドル150円付近まで戻したという次第。このレベルは、プラザ合意以前に考えられていたドル円の適正レベル165円/ドルに近く、おそらくはこのあたりが現在でもスイートスポットなのではないかと思われます。あとはここで、バランスがとれるようにすることが課題。それがうまくできれば、日本は、失われた30年をいよいよ脱却できるというものです。
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