池田信夫氏の4/28付けアゴラ記事「植田総裁はなぜ『円安は無視できる』と答えたのか」へのコメントです。
円安は消費者から大企業への数十兆円規模の所得移転だった。それは日本の製造業を大きく変え、産業空洞化で雇用喪失をまねき、国内に残る雇用は小売りと外食と介護ぐらいだ。この大きな構造変化をもたらした円安を無視するという植田発言は、日銀が国民の生活実感と遊離したことを示している。
この文章、正しいのでしょうか? 特に、円安が産業空洞化の原因であるとする、真ん中の部分は少々おかしいのではないでしょうか。
Wikipediaの「空洞化」を見ますと、我が国の空洞化が発生したのは、(1)1980年代後半、プラザ合意による円高を背景とした国内工場移転、(2)1990年代中頃、円高を背景とした国内工場移転、(3)2000年代、WTO加盟を契機に、コスト削減のため企業のグローバル化が進んだこと、(4)2010年代…日本銀行による量的金融緩和が相対的に不足したために起きた円高を背景とした産業空洞化、としており、その大部分は円高によって起こっています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E5%8C%96
円高で空洞化が起こるなら、円安になれば工場の国内回帰が生じると考えるのは当然でしょうが、このためには、円安のために海外生産が成り立たない状況に至るか、円安が長期に継続して、工場の国内移転に見合う利益が出ると確信できる必要があるでしょう。
現状では、未だ円安批判や円安反対論も根強く、企業として工場を日本国内に戻すという決断はしにくいのではないでしょうか。皆さんは、いかがお考えでしょうか?
他の方のコメントに返信しました。
花生 浩介
瀬尾さんは、180円前後の円安定着により、製造業の国内回帰を図るべきとの主張だと理解していますが、180円の円安になれば、(ドル建賃金の低下により)海外労働者が日本で働くインセンティブは皆無だし、そもそも日本の若年労働者が製造業に魅力を見出すことはないです。要は、日本は良くも悪しくも中進国ステージを完了していると思いますし、その意味で円安前提による製造業回帰を政策の中心に据えるのは無理があります。
今後の日本は、為替レートに左右されない知的産業に勝機を見出す米国型経済構造に転換すべきだし、事実その方向に進みつつあります(日本の対外直投拡大もその一環です)。もちろん先端企業の国内移転はあると思いますが、それは地政学リスク等を反映すべきもので、通貨安による低賃金は決めてにならないと思います。そして通貨を相対的に高い水準に維持することによって、購買力を維持し、結果的に国民が生活の豊かさを実感できる社会を目標とするしか方法はないと思います。
その意味で、日本のこれからの課題は、知的産業躍進の陰で大きく広がる格差問題にどう対応すべきかであり、これが後手に回ると現在の米国のような分断国家になってしまう。その方法は一にも二にも教育の変革だと思います。
瀬尾 雄三
花生 浩介さん
> そして通貨を相対的に高い水準に維持することによって、購買力を維持し、結果的に国民が生活の豊かさを実感できる社会を目標とするしか方法はないと思います。
通貨高による国民生活の改善は、まさに、忌むべき政策なのですね。過去にこのような政策を実施した国が通貨危機を招いております。通貨高は、実質的な給与増となるため、何もしなくても国民は豊かになる。その代わり、国内産業の海外逃避を招くのですね。
一部に誤解があるようですが、「空洞化」は「自国通貨高」によって起こります。その結果、国内の雇用が失われ、自国経済の衰退による通貨安となります。通貨安は、自国産業には有利なのですが、既に国内の生産設備が失われてしまっていては何の役にも立たず、破局的事態を招く、というわけです。
なお、円安容認という意味は、「通貨安による低賃金」などを狙うものではないですよ。為替レートは、あくまで、指標としてとらえるべきで、それ自体を目的としてはいけない。我が国が狙うべきは、「失われた30年」からの脱却で、そのための手段の一つに豊富な資金の供給があるわけです。
失われた30年の原因の一つは、行き過ぎた円高にあると目されており、そういう意味では、プラザ合意時点で想定されたあるべきドル円は一つの目安になるでしょう。だけど、経済政策を決める要因は、物価上昇率と経済成長率で、両者が低い間は緩和策を継続する、それが日銀の判断でもあり、これは妥当なものだ、と私は思います。
円安