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文化人類学と、敗戦日本の統治

倉本圭造氏の6/12付けアゴラ記事「敗戦日本の戦後統治がうまくいったのは原爆でなく文化人類学のおかげという話」へのコメントです。


「野蛮人どもはこれだから困るよね。あーやだやだ」

これで割り切ってしまったら、文化人類学という学問が、そもそも成り立たないと思いますよ。

菊と刀」で得た知見が、米国による戦後の日本統治を成功に導いたことは確かでしょうけど、それは日本の特殊性によるところも大きかったのではないかと思います。青木保著「『日本文化論』の変容」は、「菊と刀」の描写した日本文化の特徴について、以下のように記述しております。(参考)

ベネディクトは、「各人が自分にふさわしい位置を占める」という意識と行為が日本人の社会関係の基本にあり、それが日本人の階層制度に対する信頼からきており、人間相互間の関係および人間と国家の関係について日本人のいだいている観念全体の基礎をなしていると指摘する。それが、上下関係を中核とした世代と性別と年齢の特権的関係によって、家族関係を底部におく社会・人間関係を形成する。この関係枠組みにおける上下の強調は、重大な責務を委託された人間として行動する目上の者と、それに従う目下の者との結びつきであって、独裁的な権力者対従属者という形はとらない

この日本人の社会関係の中に、うまく入り込めたことが、米国による日本統治成功の鍵であったのではないでしょうか。乱暴な言い方をすれば、天皇に代わってマッカーサーが、大本営に代わってGHQが、皇軍に代わって進駐軍が入り込んだ、といったところでしょうか。

イスラエルやロシアの問題は、「独裁的な権力者対従属者」という形であるだけに、少々難しいものがあります。特にその権力者が絶対的な神に結びついているとなりますと、ことは絶望的ではないでしょうか。人間の独裁者であれば、これを廃すことで変化が期待できる。あとに出来る社会が混乱を極めるものであったとしても、ですが。

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