長谷川良氏の7/23付けアゴラ記事「バイデン大統領の『撤退』表明について」へのコメントです。
一方、トランプ氏を救った神の業にバイデン氏は自身へのメッセージも含まれていたことに気が付いたのかもしれない。バイデン氏は神が関与したトランプ氏を再度打ち破る確信が薄れていったのではないか。
多分そういうことでしょう。普通でないことが起こった場合、「その裏に神の意志が作用している」と考えるのが信心深い人の常なのですね。神を信じない人は、その手のことが起こっても「たまたま」というのですが、じつは「たまたま」こそ、神の意志の発露であると考える場合もある。
古来から行われている「骨卜(こつぼく)」は、動物の骨に先端が焼けた棒を押しあて、その時生じるヒビの入り具合で吉凶を占う。あるいは、現代人が神社で引く「おみくじ」も、偶然に出てきた棒に記された番号のくじをありがたくいただくのですね。
罪深い我らにとってたまたま起こることは、みな神の意志の表れであると考えるのが信心深い人で、たまたまと考えるのが無神論者、とまでいかないにせよ、信仰心の薄い人なのですね。アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言葉、信仰心の篤い人なら、そういうしかない言葉であるように思う次第です。
神を信じない人が、さいころの出目に判断をゆだねるのも、悪いことではありません。なにぶん、いつまでも悩んでいては時を失する。答えのわからない三択問題も、鉛筆を転がしてエイヤッと答えを選べば、1/3の確率で正解となる。その選択を神の意志だと思えば、人生、自信をもって送れる、というものかもしれません。
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