澤田哲生氏の9/2付けアゴラ記事「小石河連合のその後:変節漢の脱原発空想」へのコメントです。
こと原発に関しては、推進か廃止かの両極端が大多数であることが大いなる悲劇なのですね。技術的な最適点は、通常その中間にあり、両極端には、それぞれが無視している、恐ろしい欠陥が潜んでいるのが普通です。
推進側に潜む欠陥は、安全性に関する議論が十分になされないという点。危険性を指摘すると、反原発派とみなされ、話を聞いてもらえない。現在の原発に問題があったことは福島の事故から明らかであるにもかかわらず、問題点の見直しができないことは非常に危険な状況ですらある。
反対側に潜む欠陥は、我が国のエネルギー供給をどうするのか、それが経済的に成り立つかという点が第一で、ここを無視しては、国民生活が成り立たない。第二の問題として、放射性廃棄物をどうするかという問題もある。後者は、推進派が勝手に作ってしまったと言いたいかもしれませんが、既にできたものは何らかの形で処理せざるを得ないのですね。
で、これをそのまま地中埋設するかといえば、反対派はNOというし、高速炉を用いて無害化期間を10万年から300年まで短縮して保管するかといえば、それもNO。なら、どうせいっちゅうんや!
ここは、福島の事故原因をきちんと見直し、事故の危険性が事実上ゼロの原発がいかにすれば可能かを探った上で、高速炉とプルトニウム燃焼炉を建造して再処理を進めるしかありません。そういう普通の考え方がなぜできないのか。ここが、我が国のエネルギー政策をめぐる最大の問題だと思いますよ。
水素