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「書かれしものは残る」が肝要

黒坂岳央氏の9/28付けアゴラ記事「失われた集中力を取り戻す3つの習慣」へのコメントです。


Verba volant, scripta manent.(ウェルバ・ウォラント・スクリプタ・マネント)というラテン語格言があります。ちょっと凝った形で日本語に訳せば「語られしものは飛び去れど、書かれしものは残る」とでもなりますでしょうか。

語られた言葉と書かれた言葉。この二つは、インターネットなどというものができる前は、かなり厳密に区別されておりました。口頭での会話は、国会や裁判などの公式の場では文書化されて似たようなものになるのですが、通常の会話はその場限りのものです。一方で、出版物は当然ですが、手紙のようなものもずっと後に残る。

「語られた言葉」を用いたコミュニケーションは、瞬時のアクションが要求されるため、このエントリーの述べるスマホと同じように、感覚的な対応が求められる一方、「書かれた言葉」は、あとに残るため、理性による考察の対象となり、おかしなことを書くと、無用の混乱を招いたり、信用を失ってしまうこともあり得るのですね。

ネットやスマホによるコミュニケーションの問題は、それが「語られたもの」なのか「書かれたもの」なのかがあいまいになること。気楽に語った言葉が書かれた言葉として非難の対象になることもある。これらの場に書き込みする人は、その場がいかなる場であるのかを、よく考えて書かなくてはいけないでしょう。

最初に掲げたラテン語の格言ですが、「スクリプタ・マネント(書かれしものは残る)」の部分だけでも頭の片隅に置いておくことが、これらコミュニケーションの場での不幸を避ける、生活の知恵であるかもしれません。

1 thoughts on “「書かれしものは残る」が肝要

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