Shen氏の10/7付けアゴラ記事「通貨防衛の次に政治に翻弄される日銀」へのコメントです。
Fedのサプライズ50bp利下げを受けてドル円が150円を大きく割り込んだため、「為替介入(通貨防衛)としての金融政策」という切り口からの利上げや利上げアナウンスの必要性は大きく後退した。少なくとも7月会合のような「ハト的なサプライズを出したらいけない」緊張感はなくなっている。
「通貨防衛」などという言葉が普通に使われているところに違和感を覚えます。特に「為替介入(通貨防衛)としての金融政策」などは、やってはいけない行為だと理解しなくてはいけません。
この感覚、わが国独自のものではないかと思います。本年7月の160円を超す円安ドル高に際して、日銀は市場介入したのですが、これに対するイエレン氏の言葉は「為替介入は稀に行うべき」だったのですね。このイエレン氏の言葉が、おそらく世界の常識、少なくとも先進諸国の常識ではないかと思いますよ。
と、言いますのは、為替というものは、各国の経済力の相互関係によってきまるもの。通貨当局が考える「好ましい為替水準」などというものはないのですね。これに関して、願望を持つのは良いのですが、その願いを実現する手段は、経済力の強化によってしかない。
自国通貨安は、一国の経済力の低下を表わすものだから、これを上げることで見栄えを良くしたいという思いが湧くことはあっても不思議ではない。でも、自国通貨安は、自国経済力の低下にブレーキを掛ける自動調整であり、神の見えざる手の一つなのですね。これを妨害してしまっては、自国経済をどこまでも悪化させることになってしまいます。
通貨はわからん