郷原信郎氏の11/25付けアゴラ記事「『立花暴露発言』に誘発された『折田ブログ投稿』で斎藤知事は絶体絶命か」へのコメントです。
折田氏が、斎藤知事に直接依頼されてネット選挙運動を、会社の業務として全面的に仕切っていたとすれば、それは選挙運動そのものであり、しかも、無償で行われていたとは考えられない。
「無償で行われていたとは考えられない」と言い切る根拠は何でしょうか? 社長が選挙運動を手伝うなんてことは、それほど珍しいことでもないと思いますよ。
これを会社の業務として有償で行っていたなら、ここまで全部晒してしまう方が、よほど「考えられない」のと違いますか? これが、ボランティアであったなら、自慢したくなるのは、ありそうなことなのですが。
もう一つ、ネット上の言説には『もり』がよくあること。「斎藤陣営における広報PR活動のほぼ全てに主体的に関わって」などという書き込みには、「もり」の香りがプンプンするように感じるのは私だけでしょうか?
とはいえ、考えられないことも起こる昨今だし、特にネットの世界ではこれが著しい。現実には何が起こっていたのか、私にはさっぱりわかりません。こういう場合に大事なことは「疑わしきは罰せず」の精神でしょう。他人を批判する場合は、それ相応の根拠、エビデンスがあった場合に限定するのがまっとうなやり方ではないかな?
Yahooに転載されたABCテレビの記事が面白いですね。以下、ポイント部分を引用します。
PR会社社長にSNSの運用を任せていたのではないかという記者からの質問に、斎藤知事はPR会社に依頼したのは選挙ポスターの制作など法律で認められている業務のみとし、「SNSなどは斎藤、そして斎藤事務所が主体的に運用していた」と違法性を否定しました。
ここでのキーワードは「主体的」という言葉。その意味は、本人が自分の意思で積極的に関わったという意味です。
で、私の上のコメントで引用したこの社長さんの言葉にも「斎藤陣営における広報PR活動のほぼ全てに主体的に関わって」と、『主体的に』という単語がしっかり含まれております。つまり、依頼されたからではなく、おのれの意思判断のもとに、という意味が込められているのですね。
ふーむ、この社長さん、『主体的』などという言葉を的確に使われております。ひょっとするとばりんばりんの哲学者かな? まったく侮れないものです。
「主体的」という言葉に関して、総務省HPに、以下の文章が掲げられております。これに従うと、折田氏の「主体的に関わって」も、斎藤氏の「主体的に運用」も、真っ黒ということになります。<https://www.soumu.go.jp/.../naruhodo/naruhodo10_4.html>
一般論としては、業者が主体的・裁量的に選挙運動の企画立案を行う場合には、当該業者は選挙運動の主体であると解されることから、当該業者への報酬の支払いは買収となるおそれが高いと考えられます。
ところで、「主体的」という言葉の辞書的意味は「自分の意志・判断に基づいて行動するさま」なのですが、「主体」の意味には3つあって、「1. 自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの」、「2. 物事を構成するうえで中心となっているもの」、「3. 根底にあるもの、基体(ヒポケイメノン:ギリシャ語)の意」となっております。<https://dictionary.goo.ne.jp/word/主体/>
「主体的」の普通の意味や、「主体」の意味(1)は、上の私の解釈に対応するのですが、総務省HPで使われている「主体」や「主体的」の意味は、「中心となって」という、主体の意味(2)に対応しているように思われます。
この言葉を巡っては、既に一部に混乱があるようですし、この先も混乱しそうな予感がいたします。つまり、意味(1)の、おのれの意思に基づく「主体的」なら「ボランティア」になるわけですけど、意味(2)の「主体的」だと、選挙運動の中心的存在として振舞ったことになるのですね。ここはよく考えて議論しなくてはいけません。
yami