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続:罪なき者まず石を投げうて

長谷川良氏の1/17付けアゴラ記事「ひまわりと『許しの限界』」へのコメントです。(似た話題はこちら


汝らのうち、罪なき者、まず石を投げうて、ですね。これはイエスの言葉で、姦通の罪に問われた婦人(姦通は石打ちの刑とモーゼが定めた)に対する処置を問われた際に発せられたのですね。

その意味は、同じ罪を犯していない者だけがこの婦人を石打ちの刑に処することができるという意味で、この言葉を聞いた人たちは、なんとみんな立ち去ってしまった。皆さん、けっこう淫乱だったんだ! 

それはともかく、他人に厳しく自分に甘い人たちの多いことが、引退した韓国大統領に幸せな老後を送れない理由なのでしょう。

似た話は欧州・中東にもあって、ユダヤ人がナチスの罪を問うのは当然のことかもしれないのですが、パレスチナの地で自分たちが何をしているか、ということは、どこかで自問自答しなくてはいけません。

それなくば、韓国と同じように、右に振れた振り子が今度は左という形で、お互いを傷つけ続けることが避けがたい。そういうリスクを内包した歴史を生きるしかありません。

1 thoughts on “続:罪なき者まず石を投げうて

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