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デジャヴ:権威かアナーキーか

小林恭子氏の2/7付けアゴラ記事「10時間超フジテレビ記者会見の異常性:英国と比較する日本の記者会見文化」へのコメントです。


今の日本のメディア環境では、首相官邸での会見が「閉鎖的」で、「聞くべきことを聞いていない」という認識、あるいは現実があるがために、「出ること」が重要であり、そこで「聞くべきことを聞かなければいけない」という認識になるのかもしれない。

全くその通りです。記者会見に参加できるか否かは、記者クラブに所属するか否かという、全然公式ではない、誰かが勝手に決めた資格によって定まり、「聞くべきことを聞けるか」といった、記者としての能力とは関係ない。これは、権威主義の一つの特徴で、そこでは権威が定めた形式が重んじられるという特徴があります。

フジメディアホールディングス(FMH)の日枝支配にしたところで、一取締役の前に全員がひれ伏すというおかしなあり方は日枝氏という権威の支配であって、実力とは無縁に決定権が配分されている。だからおかしなアクションもまかり通ってしまうのですね。

で、10時間以上にわたる記者会見ですが、権威に基づく形式が認められないとなった時、では、実力あるジャーナリストに開かれた記者会見をすればよいかとなりますと、そんなことはできない。これができるなどということになりますと、権威は崩壊してしまう。記者クラブが成り立たないのですね。

だから、権威と形式を外せば、そこは統制の効かない、アナーキーな場になる。無能な(自称)ジャーナリストたちが大活躍(?)する場になってしまうのですね。中東で何度か見られた、独裁国家の独裁者を廃した状態、といえばよいでしょうか。ここから抜け出すには、権威主義を廃すること、お互いの実力を認め合う自律性、「実質は形式に優先する」基本原則を忘れないことが大事だと思います。それができないということはすなわち、「遅れている」「未成熟」ということなのですね。

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