黒坂岳央氏の2/23付けアゴラ記事「日本人は『精神的』な貧困に陥っている」へのコメントです。
背伸びして高い生活費で我慢をするのは、実力に見合わないプライドが高コストになっているに過ぎず、それは他者の目が気になっている「精神的貧困」という解釈になるだろう。
たしかに、「貧しい」と実感している人の生活ぶりが、傍から見れば相当に贅沢、というのは良くある話なのですが、これは、やむを得ない面があります。つまり、そうなるにはそうなる理由があるわけです。
経済の世界では、「下方硬直性」という性質がいろいろな項目に対して認められているのですが、「生活水準」にも下方硬直性があるのですね。給与がダウンしたからといって、かつての給与水準に見合った生活ぶりから、すぐにダウンした給与に見合った支出に落とすことは難しい。この結果、貯金を取り崩す生活が一定の期間続き、貯金が心細くなったところで節約を本気で考える、というわけです。
日本でこの「消費の下方硬直性」が広範にわたる問題となっているのには理由があって、2009年以降の民主党政権の時代、為替水準が1ドル80円を割る大幅な円高になった時期があったのですね。円高になれば物価が下がる。輸出も困難になり、日本の雇用は減少して、新卒で正社員になれない人が増えたり、追い出し部屋が問題になったりします。
でも、これが大問題となるのは職にありつけない人、職を失った人であって、その他の多くの人にとっては、物価水準が下がっている割には給与はさほど下がらない。豊かな生活ができてしまった。これに合わせれば、普通の為替水準になったところで、「貧困感」にとらわれてしまう。人間の心理として致し方ないことなのですが、かつての豊かさが砂上の楼閣であったと理解して、あきらめていただくしかないと思います。まったく、罪作りな話ですけど。