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研究者に要求されるもの(倫理)

中村祐輔氏の4/30付けアゴラ記事「人工知能を使った論文は、どこまで開示が必要か?」へのコメントです。


アガサ・クリスティーの「名探偵ポワロ」に、遺産探しを依頼されてこれを見つけるというお話がありました。作中で、「お前に見つけることができたらこれをやろう」との遺言の趣旨は、「相続人にこれを見つける能力があればという意味だから、探偵に依頼するのはルール違反だ」との批判もされるのですが、「探偵に依頼することを含めて相続人の能力だから、これで構わないのだ」という落ちであったように記憶しております。

このポワロ名探偵の論理を使うなら、研究者の能力はAIを使いこなすことを含めて評価すべし、ということになるのではないでしょうか。

最新技術の利用は、表計算ソフトに限らず、コンピュータシミュレーションなど、普通に行っておりますし、それ以前にしたところで顕微鏡や様々な分析装置も使っているのですね。それを「顕微鏡を使うなんてずるい」などと言いだしたら、学問の進歩は止まってしまいます。

研究者を評価するサイドの研究者は、評価される研究者以上に最新の技術にも精通していなくてはいけない。結局のところ、能力の低い者には、一段とびぬけた高い能力の持ち主を評価できない。これが冷徹な現実なのですね。

ACMという米国のコンピュータ関係の学会が規定した倫理基準には、研究者は常に最新の情報に接し、これをマスターすべしとの一項目があります。研究者が高い地位であり得るのは、その高い能力の故であり、既得権などではない。これが「倫理」というものです。我が国の学術組織も、この原則をきちんと守るようにしなくてはいけません。

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