黒坂岳央氏の9/23付けアゴラ記事「『国籍より経済力』という判断基準」へのコメントです。
ふふ、「アンナカレーニナの法則」ですね。トルストイはこの小説の冒頭で次のように書きました。
幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ。
メディアや評論家は、不幸な人たちを好んで取り上げるのですが、これは確かに、情報量が豊富で、見ていて飽きないストーリーを受け手に提供することはできるのでしょうけど、社会現象を研究するという意味では、不幸な家庭の分析ほど手間のかかるものはありません。
まあ、不幸な人をゼロにするという意味では、こういう人たちにフォーカスすることは必要でしょうし、行政にとっても見捨てられた人々をゼロにするのは大事な仕事なのですね。でも、社会科学という意味では、あまりここを深追いしてはいけない。時間がいくらあっても足りなくなってしまいます。
そういう意味では、幸福な家庭の最大公約数を、なぜそれが成り立っているのかを明らかにし、それを拡大する方向を探ることが効率的というもの。何分、皆同じように幸福なのですから、その背景を探ることもそれほど難しくはないし、学問の第一条件である『普遍性』がそこにはあるのですね。
まあ、その前提として、学問研究に携わる者が、「幸福な家庭」の側にあることが条件です。それぞれに異なる「不幸な家庭」から世界を見たら、それぞれに異なる世界観になってしまいますし、普遍的な真実も追及できない。左翼思想が失敗する原因は、もしかするとこの辺りにあるのかもしれません。トルストイ、恐るべしです。
幸せ🍀