尾藤克之氏の11/12付けアゴラ記事「今は人間にしかできない思考が重視される」へのコメントです。
知能には二種類あって、AIにもこれに対応した二種類があるのですね。
一つは、言語化され、数値化された命題をあらかじめ蓄積しておき、これを論理的推論により展開することによって、問題に対する解を提示する知性のあり方です。そしてもう一つは、無数の情報から、特徴や法則性を見出し、これを概念化、言語化、数値化する知性のあり方なのですね。
前者は、AI研究では「知識ベースマシン」、「推論エンジン」などと呼ばれ、「第五世代コンピュータ」の掛け声の下1980年代に大いに研究されたものです。ヒトの知性では、この能力は「理性」と呼ばれております。この論理世界を重視したのがヴィトゲンシュタインで、彼は『世界』を「成立している事柄の総体である」と定義したのですね。彼の考え方は「論理実証主義」と呼ばれ、今日に至るまで、学問研究の一つのベースとなっております。
今日のAI研究は、「ビッグデータ」などと表現される大量の情報から、様々な情報を概念化し、要求に合致する知識を提示する、後者の知性のあり方が中心となっております。カントはこのような知性を『悟性』と呼び、理性よりも重要であると主張しております。そして今日では「ひらめき思考」として、閉塞状況を打ち破る力として重視されているのですね。
でも、ちょっと待てよ、という気がしないでもない。悟性は確かにひらめきで、大きな前進のきっかけにもなる。でもそれって「体で考える」ってことですよね。いわゆる『筋肉バカ』の世界です。AIでいえば、ネット上の情報をまとめただけとも言える。これは確かに便利な知性ではあるのですけど、「論理」も忘れちゃいけない。『理性』を失っちゃいけない。あたりまえの話なのですが。