ミッシェル・マフェゾリは、今、世界中の人々が小集団への帰属を深めていると説きます。この本では、フランスの「ミニテル」を取り上げ、ネットでの情報交換に没頭するのも、小集団化の一つの例としています。
一方、ネチズンなんて言葉があるように、ネットは小集団の枠を超えて、人々を地球規模で繋ぐといわれています。
どちらの説が正しいのでしょうか?
マクルーハンは、もう何十年も前に評判になったメディア論という本の中で、「メディアはメッセージである」との有名な言葉で、メディア(情報伝達媒体)の特性が、それを通して伝えられる内容に影響を与えると主張しました。
この主張は、多分正しい、と思います。メディアの特性がメッセージに影響を与える機構を考えると、、、
伝達相手の数による違い:多数を相手にする媒体で伝達する場合は、メッセージの内容をよく考え、誤解のない様(多分、普遍的メッセージを)心掛けるのに対し、少数相手なら、比較的気楽に、特定の相手が理解できるメッセージを発信するはずです。
記録が残るかどうか:記録が残る媒体であれば、その内容を読み直すなど、熟慮の末に書かれるでしょうけど、記録が残らない媒体であれば、その場のフィーリングで気楽に発信されるでしょう
古くから使われている媒体は、媒体毎に特性が決まっています。
オーラル(口頭)、電話:少数を相手にし、記録は残らない
手紙:少数を相手に記録を残す。保存期間はいろいろ
放送(ラジオ、テレビ):多数を相手にし、普通は記録は残らない(録音/録画しない限り)
新聞、週刊誌:多数を相手に、記録を残すが、すぐに捨てられる。
レコード、CD,セルビデオ、DVD:多数を相手にし、記録が残る
本:多数を相手に、記録を残し、恐らく、長期間保存される
電子的コミュニケーションはどうでしょうか。考えてみると、電子的コミュニケーションは、伝統的なメディアの機能を全て含んでいるんですね。なんでもできるって―か ...
そうすると、電子的コミュニケーションで伝えられるメッセージは、何によって規定されるのでしょうか?少なくともメディアの特性ではありませんね
そう、結局のところ、それを使う人達、それを介して結びついた人達が作る社会が、メッセージを規定することになるんです。だから、いろいろな見方があり得るのだと思います。
それをどう使うかは、あなた次第、ってわけですね。