色をなんと呼ぶかは人それぞれだが、赤、緑、青の光の混合量を数値で示せば、人による違いはない、ということで、このお話は『普遍性』の議論にもあてはまります。
勿論、ウエブの規約 (W3C と呼ぶのでしょうか?) では、特定の色の名前にRGBの数値が対応しているはずで、「規約に指定された色の名前」で色を指定するなら、それは、普遍的表現ということになります。
私的には、色の名前は感性的なものですから、機械的に指定するなら、十六進表現の方がしっくりしますが、他の方はどうなんでしょうね。
さて、「色の名前」について考えていたとき、「薔薇の名前」というミステリーを連想しました。
ってなことはどうでも良いのですが、その中に、「神の存在証明」という言葉が出てくるんですね。中世において、神の存在を証明するってのは、一つの大きな問題だったようです。(で、多分デカルトも、それをしたかったんだろう、などと、私は不遜にも考えているのですけど)
かつては、空の上には神様がいると考えられていました。イスラムでは、月面にアッラー(神)がおわしますと教えています。
しかし、ロケットや人工衛星が大気圏を出て、月面にまで到達した時、そこに神の姿を発見した、ということは、ついに起こりませんでした。
敬虔なキリスト教徒で自然科学を研究する人達の中には、「汎神論」に傾斜する人もいます。これは、神は遍く存在するという考え方なんですが、かつて宇宙空間を満たすと考えられていたエーテルと同じように、私には思えます。
自然界に神を見出そうという考え方に対して、そりゃ無茶だ、と私は思います。漫画のインクの中に、作者を見出そうとしているようなものです。作者の痕跡なら、そこら中にあるんですけどね。
ある種の漫画には、作者(例えば、手塚治虫)が登場します。これを一歩進めて、作者にお願いして、ストーリーを書き直してもらうことができるなら、漫画の登場人物として、これほど楽なことはありません。しかし、そんなのって、アリだろうか? 少なくとも、ずいぶんと、お手軽なストーリーですよねえ。「ばかに おしじゃ ないよ」恵(めぐ)なら、きっとそう言うでしょう。
自然界(インク)の中には、命もなければ、心もありません。そこにあるものは、複雑な化学反応過程であり、巨大なニューラルネットワークの情報処理過程があるだけです。しかし、それらを前にした私達が見るものは、生き生きとした生命であり、精神であるわけです。インクのシミに、生き生きとした漫画の登場人物を見出すように。神様の居場所があるとすれば、それは、物語の中、ということになるのでしょう。
実在しないものに対する価値は、法律の世界でも、はっきりと認めています。
最近話題の『著作権』は、無体物に対する所有権であるとされています。本などの形のあるものを有体物と呼ぶのに対し、そこに書かれた小説や漫画などの作品を無体物と呼びます。小説や漫画は、本という実体を離れて価値を持ち、取引されており、この、「体」の無い物、「無体物」に対する権利が著作権として保護されているのです。
命や心の価値、無体物の価値と、良く似ていると思われませんか。
# 神の問題に関しては、また、改めて論じたいと思います。