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自由、民主主義:普遍的価値を追求する米国

自由、民主主義:普遍的価値を追求する米国ってなことを、ブッシュのスピーチライターという人が、インタビューに応えて言っていました。これが真実なら、実に、好ましい話です。

問題は、米国のダブルスタンダード的対応が目立つことで、これは、普遍性とは相反します。いわゆる身勝手な行動という奴ですね。

但し、ダブルスタンダードも、一定の条件を付せば、普遍的になります。つまり、一定の条件を満足する国家と、そうでない国家に対して、許容レベルを変えるということですね。

なんとなく、レイヤ7(HPにおいた実験的小説参照)の普遍国家宣言を連想させる話ですけど、米国が考えているのは、そういう条件なのかもしれない。

つまり、言論、表現の自由が満足され、公正で民主的な手続きによって政府が得ればれている国家と、そうでない国家(独裁国家)を区別して扱い、独裁国家が大量破壊兵器を持つとき、これを軍事的に排除する、といったルールですね。

ただ、一定の条件を持っているからといって、それが即ち、普遍性を持つことにはならないでしょう。米国は、その条件を言葉で表現し、世界に宣言し、他国の支持も受けなければなりません。

一旦戦端が開かれてしまった以上、これに反対することは、何の役にも立たないばかりか、戦乱を長引かせ、悲劇を拡大する方向に作用する可能性もあります。ここは、次のステップを考えるべきところでしょう。

世界が次にとるべきステップ、それは、第一に、前回の日記にも書いたように、大量殺戮兵器を非倫理的存在と認め、その廃絶を目指すこと、第二に、上に書いたような、独裁国家に対する制限を明文化することでしょうね。