なぜ「悲しきネット」(改名しました)なのかというと、、、レヴィ・ストロースの名著「悲しき熱帯(1) (2)」のパクリ、なんですねえ。
この本、「構造主義の原典」なんて帯に書かれていますけど、アマゾン奥地の裸族の生態を現地調査した記録で、民俗学とか文化人類学とかの、フィールドワークの記録ですね。構造主義、、、何でしょうか? 私にはその辺は良くわかりませんでしたが。
本の印象は、戦争の気配漂う中、フランスからアマゾンまで出かける所なんぞ、インディージョーンズ風の話でもあります。この辺、ヘディンの「さまよえる湖」とよく似た雰囲気ですね。(と、言うか、インディージョーンズがこれらの本を参考にしているんでしょうね。)
で、アマゾンの裸族ですけど、洋服を着ない人たち、レヴィ・ストロースの関心は、彼らが唯一つ身に着けている男性のシンボルを覆っているサック「陰茎鞘」に向かいます。写真も豊富でして、「裸で抱き合う夫婦」なんて写真も、、、学問的な価値が高い本ではあるのだが、奇書、ともいえそうな本ですね。
一方、私なんですが、インターネットの中にできた社会を研究するのに、文化人類学的アプローチをしてやろう、と考えたんですねえ。これなら、インターネットの中の社会(掲示板など)に入り込み、そこの人たちの行動や考え方を探るのが立派な研究になります。
アマゾンの奥地なんぞに出かけないでも、興味深い社会がそこにある。おまけにこの社会、これから、ますます、我々の生活に浸透してくるはずで、これを研究する社会的意義も高いでしょう。
てなテーマを引っさげて、文化人類学者の青木保先生の研究室に入れてもらったのでした。この方、タイの僧院で修行された方で、その経験をつづった本は高く評価されています。最近はアジアの都市問題に関心が移っているようですけど、文化についても見識の深い方です。で、論文の題名を「悲しきネット」あるいは「悲しきネットワーク」じゃ、どうでしょうか、と提案した所、「そりゃ駄目だ」と、あっさり却下されたのでした。
でもこの題名、あっさり捨てるには惜しい、というわけで、ここに使ったりしているのです。この研究がまとまって、本でも書くときには、題名に使えるかな、なんて考えていますから、真似しないでね。
PS. ホームページの表示が2行になるの、かっこ悪いので、第二の名前「悲しきネット」に変更しました。