源頼朝が鎌倉に幕府を開いたのは、それが防衛に適した、自然の要害だったからだと言われています。南は海に面し、東西と北は山に囲まれ、鎌倉に出入りする道は、いくつかの狭い切通しだけなんですね。
その切通しの一つ、化粧(けはい)坂切通しは、結構広い道で、切通しというよりは坂道、まあ、道の一方の端は、山肌を削った崖ですから、岩を切って造られた切通しには違いありません。
コレが化粧坂なんて名前が付いた由来は、義経首実検のため、このあたりで首に化粧をしたからだ、という説もありますけど、もう一つの説、このあたりに遊女が大勢住んでいたからだ、という説がもっともらしい、と私は思っています。
この坂を抜けると、藤沢の方に出て行ける。そこには東海道、京に至る道があります。化粧坂、かなりの急勾配ですけど、他の切通しに比べて広い。馬や荷車が通れる道です。ですから、鎌倉で消費されるさまざまな物資は、この坂を通って運ばれたのでしょう。この坂の鎌倉側、扇ヶ谷と呼ばれる一帯は、その昔、商業活動が盛んな場所だったのですね。だから、町のはずれ、化粧坂の辺りで、風俗営業が行われてたのも、納得できる話です。
さて、化粧坂の崖なんですけど、海の砂が固まった砂岩で出来てまして、よく見ると、その中に貝の化石がいっぱい見えます。ここを訪れた方、観察をお忘れなく。
まあ、今じゃあ自然保護といいますか、勝手に崖を削るのは問題があるのでしょうが、昔はそんなこと、お構いなし、子供たちは喜んで、貝の化石を採集しちゃってたんですね。で、普通の化石は、平べったい貝の欠片なんですけど、時々、珍しい貝が見付かります。それは、長さ2センチほどの小さな巻貝で、大抵のものは、ほとんど完全な姿をしている。子供たち、それを見つけると喜んだものですが、あまりその姿が完全だったもので、大人たちには、この貝、誰かが海で拾って来たのを撒いたんじゃないの? なんて疑問も、、、
そんなことをすっかり忘れていたある日、庭の石をひっくり返したら、なんとその巻貝が、びっしりとくっ付いているじゃありませんか。これ、化石でもなけりゃ、誰かが海から拾ってきたものでもない。化粧坂あたりに生息している生物だったんですね。
調べてみるとキセルガイと呼ばれる、カタツムリみたいに、陸に住む貝の仲間があるんだと。コレ、なかなかに神秘的なものでして、百種類以上ある中には、レッドデータブックに載るような絶滅寸前の種もあれば、桑を好む種類のキセルガイには、薬になるのもあるそうな。更にコレ、飼育もできるようで、コレクションしている人もおられるのですねえ。
また、キセルガイ、生命力が旺盛で、それにあやかろうと、兵隊がお守りにしたこともあるそうです。神奈川県にも「ハコネギセル」という種が生息しており、自然に来たのかも知れないけど、もしかすると、化粧坂のキセルガイ、鎌倉武士がお守りにした、その子孫かもしれませんね。
まあ、この坂を上った所の源氏山には、戦時中、高射砲陣地がありましたから、兵隊が持ち込んだものかもしれないけど、これ、きちんと調査した方が良いかなあ、、、レッドデータブックに載るような種だったら大変だし、他の地方にしか見られない種であれば、歴史の知識、増えるかも。
この話をコレクターの方の掲示板に書いたところ、「ナミコギセル」ではないかとのこと、図鑑のページには、ナミコギセル、ありませんけど、ナミギセル(並煙管)ありますねえ。
ふ~む、京都、宇治にいらしたんですかあ、並煙管さん。鎌倉武士がお守りに持ち込んだ奴の子孫、その可能性、なくもありませんね。
更に調べると、ナミコギセル、ありますねえ。分布域の広い種類、かあ、、、
○ナミコギセルは関東から中部地方(長野県からの情報が前回と同じようにない)を経て、近畿、中国地方東部に分布し、一部は四国北東部にわずかに記録がある。
これじゃあ、鎌倉武士が持ってきたかどうか、疑問ですねえ。恐るべし、コレクターの博識!
しかし、自然界に生育するナミコギセル、貴重種ではあるようです。
「秋田県の絶滅のおそれのある野生生物2002 秋田県版レッドデータブック動物編」によると、陸産貝類 情報不足種 ナミコギセルなんてなってますし、埼玉県レッドデータにも、しっかり載ってますね。
あのあたりに殺虫剤を撒かないよう、鎌倉市公園課に連絡すべきでしょうかね。その前に、一度調べるべきかもしれないけど、今の時期、カタツムリの類は、あまり見つかりませんねえ。さて、どうしたものか、、、うん、考える前にまず行動。鎌倉市にメイルを送っておきました。
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