少年犯罪が起こったりすると、社会が悪い、という意見、よく耳にします。
ま、それ、間違いじゃない。人を決めるのは遺伝と環境だけ。それ以外の要素はない。つまり、生まれたときの人を決めるものは、遺伝だけ、その後、周囲とコミュニケートする過程で脳が発達します。つまり、遺伝と環境が、その人の全ては決ってしまうのです。
だから、誰かがとんでもない悪事を働いたら、親が悪い、社会が悪い、ということ、全く正しい話です。
でも、だから本人は悪くない、なんて話にはならないんですね。この議論、本人、なんて視座、まるっきりありません。悪事をしでかした当事者、モノ扱いなんですね。だって、遺伝と環境で機械的に出来た存在、モノとしか言いようがない。責任を問えない対象、つまりは人格が否定されてしまう。
だから、少年犯罪があったとき、社会が悪い、本人は悪くないなんて言う進歩的文化人、実はとてつもない人格無視をしているんですね。
ま、劣悪な環境に育った少年、同情の余地、無きにしも非ずだけど、それが全てだと言ってしまうと、本人の人格、否定してしまう。
そう、人が人である一番大事なところは、精神的な活動だと、昨日の日記に書きました。人と人との関係において、私達が見なければいけないのは物語の部分、遺伝と環境で出来た「モノ、ハードウエア」に固定された「表現、ソフトウエア」の部分です。そこに見えるものは、自由な精神、他から独立した、自然な精神活動なんですね。
このような自由な精神同士の出会い、まるで、荒野で獣と獣が出会うような、緊張感のあふれるものなんですね。私がこの日記に接する気持ち、にも、相通ずるんですが、、、
そんな関係、貴重なものだと思いませんか?