いいですね、こういうニュース。
このニュース、概要を紹介しますと、1963年に皇后陛下が詠まれた和歌白珠(しらたま)はくさぐさの色秘むる中さやにしたもつ海原のいろ
に対して、週刊朝日が掲載した、ジャーナリスト、渡辺みどりさんの解釈あの貴い方のお心のうちは、海原の色のように、その時々に変化し、理解するのは難しいが間違いであると、宮内庁が文書で週刊朝日に申し入れたというのですね。
コレによれば、「さやに・したもつ」という解釈がそもそも間違いで、つまり真珠がさまざまな色を秘めながら、清(さや)かに海の色をとどめていると、「さやにし・たもつ」、と解釈すべきだということです。
しかし、大したものです。この手の議論、アメリカじゃ、逆立ちしたって出来やしない。全く、殺したの、殺されただの、責任逃れがばれちゃっただの、聞くだけでうんざりするニュースが氾濫する中に、こんな優雅なニュースがあるなんて、日本も捨てたものじゃないですね。日本文化の要、皇室も輝いて見えます。
で、この解釈に関しての私の印象なのですが、渡辺さんの解釈、良いですね。揺れ動くヒトの心を和歌に読む、これ、万葉集の世界なんですね。それに対して、宮内庁解釈、写生ですねえ。まるで芭蕉。和歌の世界の優雅さがちょっぴり不足、なんて気も、しなくはない。
で、更に踏み込んで解釈すると、この歌、最初から二通りの意味に作られていた、かも。天皇陛下には渡辺解釈で本心を伝え、周りのヒトには宮内庁解釈で心配させない、もしそうだとしたら、皇后陛下、大変な歌人であったということでしょうね。
さて、理屈で読むと、宮内庁解釈が正しそう。天皇陛下に「した」とは不穏当な言葉です。でも、勢いでは渡辺流の切り方もしたい。これは、言葉のリズム、5音が心地よいから。上に、「なか」つまり2文字がありますので、「さやに」の3文字で止まりやすいんですね。
ふうむ、感性と知性の対立が、この歌の解釈の相違にもあったのかもしれない。
ヒトの心が自由に躍動していた万葉の時代と、正確第一の現在の対比、なんてことも、ひょっとしたらこの歌には込められていたのかもしれない。
ま、個人的にはすごい歌、だと思います。専門家の意見が聞きたいですね。
ふうむ、しらたま戦争勃発か? 個人的には、牧水の↓コレ↓を推すけど、、、
しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり
しらたまの 言の葉きかば 酒恋し 明日っからは 連休だ~い!! ← コレは私、お粗末様。