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梗概;インクのしみの呟き

エキサイトにこさえたブログ、インクのしみの呟き(このブログは近日中に消去します)、ですけど、これまでこの日記(これもやはりブログ、なんですね)で展開してきた、哲学的考察の部分をまとめて行こう、というのが基本的考え、でもそれに集中してしまうと、こちらでやっていた考察、これが進みません。

ま、同じ内容をこちらにもコピペする、なんてやり方もあるんですが、それじゃあ面白くない。というわけで、こちらは少し進んだ舞台裏の話を、、、

まず、このインクのしみ、ですけど、自然科学が発達して、神の居場所がなくなった、それがニュートンの頃から大問題になっておりました。多くの信心篤い科学者に支持された一つの考え方は、汎神論、あらゆる場所に神がいる、という考え方なのですが、これじゃあエーテルと同じ、科学的には、否定されてしかるべきなのですね。

19世紀の問題は、神様の居場所だけですんでいた、でも20世紀も終盤になると、イノチやココロまでもが、自然科学で説明される、霊魂の存在も否定されてしまうのですね。

ならばヒトはモノか、インプットとアウトプットのあるユニット、自然科学の法則にしたがって、外界の刺激に反応するサブシステム、で、これが集まって、社会というシステムを作っていると、、、

もちろんこれは真実、一面の真実、ではあるのですね。で、このシステムの応答について、知見を深めると、好きなように制御できる、つまりは、お金儲けが出来る、というわけですね。

たとえばマーケティング、なんてまさにこれですね。広告を打つ、消費者の行動をうまくコントロールして、自社製品を買わせる、消費者のモデルが精密になれば、売り上げは予想できるし、どんな製品を作ればよいか、すぐわかる。

でもそれで良いのか、それだけで、というのが私の疑問なんですね。

その疑問に応えてくれたのが、漫画はインクのしみだという発見、自然科学で捉えられない世界もあるのだし、多分そっちが大事な世界、イノチやココロ、神様も、たぶんこの世界に属するのでしょう。

この世界、物語の世界といいますか、ヒトが読み取ることによって意味を持つ世界、でも、その読み方、他人と共有できるのですね。で、他人と共有できる概念、普遍的な概念が、真実に近い概念。ま、真実と異なる点は、間違うこともあるから。でも、間違いのない真実、ヒトは知り得ないので、普遍的に真と思われている概念こそが、ヒトにとって意味を持つ真実。実の所、自然科学にしたところで、マーケティングの理論にしたところで、この、物語の世界に属する概念なんですね。

で、ヒトの精神活動は、実はニューロンの作り出したものだけど、これは個人の中に閉じてはおらず、他者との関係の中でプログラムされたもの、おまけに、社会自体にも知的作用があり、ヒト内部の知的作用とはリンクしている。

社会の認識、それは文化、常識で、社会に認知されればその中では真実になる。でも、社会にも色々あって、広いものやら狭いものがある。普遍性は、文化を異にする人々とも共有できる認識、それを可能とするメッセージ、自然科学の方法論は、全人類が共有できる定説作りを目指します。

宗教の問題、政治の問題も、同じようなやり方がもし出来るなら、世界は平和になるのでしょうね。それを可能とする手段はコミュニケーション、ネット、使い方によっては、このようなコミュニケーション手段になるかもしれない。

で、ネットは現実、そうなってはいない。それはなぜか、どうすれば、より良い世界を作るために役立てることが出来るのか、これについて、論じたい、というのが、この日記のテーマである、ということなんですね。