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客観というコトバ、含蓄がありますねえ、、、

客観的、なんてコトバ、絶対的な意味合いを持つから使っちゃイカン、な~んてことを自作SF小説「レイヤ7」に書いちゃいましたけど、このコトバ、よく考えてみると含蓄がある。「客観」に対応するコトバは「主観」。

現在の哲学、全ては主観であるという考え方が主流でして、客観も主観の内にある、などと言われているのですね。つまり、「客観的に言ってXXである」な~んてことを主観的に考えているのですね。

で、主と客、なんですけど、主(あるじ)とお客、と対応するのですね。主(あるじ)の見方が主観、お客の見方が客観、なのですねえ。お客というのは、異質の他者。主とお客の間には、「家人」がおりまして、家人、家風などというものを主と共有している。

主も家人も、当家の常識を共有している。朝はご飯、味噌汁には三種の具、これが当たり前という常識があるのですが、客人の常識ではパンにコーヒーかもしれない。

で、客観というのは、不特定多数の異質の他者である「客」もそう考えるだろう、と言えるときに客観的になる、というわけですね。な~るほど。

ま、熟語の意味を、漢字の意味から説明するのは、一般的ではあるのですが、厳密な議論、特に学問的立場からは、ちょっとまずいかもしれない。でも、上の話、なんとなく納得できてしまうのではないでしょうか。

HPのレイヤ7も、もう少し手を加えないといけませんね。