コンテンツへスキップ

地球の切り方、二通り

ワイオミング州、長方形なのに、北の州境が南の州境より短い、なんて話を先日書きましたけど、正確なことを言えば、州境、直線ではない。上下方向のゆがみは無視する、二次元世界の場合も、そうなのですね。

球形をしたものを切るとき、二種類の切り方をします。

一つは輪切りにする、というやり方で、たまねぎをオニオンリングにするやり方。もう一つは、りんごなどを6つに切るやり方で、全ての切り口が球体の中心を通る。

地球の経線と緯線、南北に走る線と東西に走る線、この二つの切り方に対応しているのですね。だから、どちらも似ているけど、性質は全然違う。

何しろ、全ての経線は、北極と南極でクロスするのですけど、緯線はどこまで行っても平行、永久にクロスすることはありません。

ふむ、そうすると、この二つの線、一方は直線で、他方は曲線、ということになりそうです。さて、どちらが直線でしょうか。

ちょっと考えると、平行線の性質が成り立つ、緯線が直線のような気がします。でも、北極点に立てば、緯線、小さな円になってしまうのですね。

球体上で二点間を結ぶ直線は、その二点と球の中心の三点を含む平面と球面との交線で定義するのが正解。りんごの切り方が正解なのですね。

二点間を結ぶ直線、二点間を最小の距離で結ぶという性質があります。だから、東京からロサンゼルスに行く飛行機、地図の上の直線ではなく、ずっと北の方、カムチャッカ半島の近くを飛んでいくのですね。

というわけで、ワイオミング州の南北の州境、曲線、なのでして、この州、南に多少膨らんでいて、北側が多少凹んでいるのでした。

さて、こんな話を始めたのは、西研さんの哲学的思考の中で、物理学や幾何学は真理と考えられている、なんて表現に引っかかったため。

確かに19世紀には、ニュートン物理学こそが真実であり、この宇宙の出来事は、全て物理法則の定めたとおりに動いている、と考えられていたのですね。

しかし、今日では、ニュートン物理学といえども、近似的な理論である、より精密に言えば、量子力学や、相対論の効果を無視できないのですが、更に、相対論といえども絶対的真実である、なんて見方をする人は少ない。

結局のところ、物理法則というのは、一つの仮説であって、人が世界をどのように理解するか、という、その方法、表現なのですね。

実に、絶対的真理であると考えられていた、ユークリッド幾何学、コレすらも、厳密な意味では、この宇宙では成り立たない。何しろこの宇宙空間、歪んでいる。でもこの歪、ごくわずかでして、ユークリッド幾何学、実用的な世界では十分に役立つ。測量、とかね。

現象学者、主観とは何か、なんてことを必死に考えておりまして、西研さんの本も、この部分を掘り下げて書いているのですが、私が思うには、現象学の最大の成果は、「間主観性」、我々が考えなくちゃいけないのは、世界の絶対的真理などではなく、人々が共有する主観である、という点でしょう。

だから、真理性は、ポパーの言う「反証可能性」によって確保される。「真理じゃないかもしれない」、と認めることで、その言説は、「さしあたり、真理と認めても良い」、ということなのですね。

だから、「コレは絶対正しい」等という人がいたら疑って掛かること。原子力は絶対安全です、なんてコトバ、まず嘘八百と考えて良いのです。