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感性と感情の違いを意識すること、これ、大事ですね

まず、感性、ですけど、これは、物事に感じる能力でして、感覚器官の刺激をその人なりに受け止める能力という意味が一つ、こちらは、肯定的に捉えられているものでして、詩人や芸術家には特に必要ですね。

感性のもう一つの意味は、その刺激を受け止めた結果、瞬間的に生じる欲求でして、一般的に、知性の力で抑圧すべきものとされています。

もう一方の感情、コレにも二つの意味がありまして、一つは喜怒哀楽、心の状態、もう一つの意味は、外界の対象物から受ける印象、美醜、可愛い、etc、感性の、一つ目の意味と、ほとんど同じ意味ですね。

さて、コレまでこのブログで展開している哲学議論でも、感性、使っているのですね。つまり、異質な他者とのコミュニケーションでは、感性的メッセージ、誤解されることが多い、と考えているわけです。

その理由は、感性は、個人的なもの、仲間内でしか共有できないもの、異質な他者の感性、自分たちと同じかどうか、わかったものじゃないのですね。

でも、コレを知性の力で一般化したもの、つまり普遍的メッセージなら、異質な他者にも理解してもらえる、まあ、その可能性が高い、というわけです。

一方の感情、これは、メッセージの伝えようとする内容であって、形式ではない。感情を排したメッセージ、事実を淡々と伝えるニュースや科学のレポートなど、要求されるケースも多いのですが、それだけではあまりにも人間性に欠けた世界、感情溢れるメッセージも、ネットの場に流通すること、問題ないと思うのですね。

結局の所、異質な他者も同じ人間、喜怒哀楽の情けもあるはず。感情のない人間なんて怖すぎますし、実の所、感情こそがヒトとヒトとを結びつける原動力になるのですね。

その表現が、どんな相手でも、きちんと伝わるのであれば、感情溢れるメッセージも悪くはないと思うのですね。

ま、個々のケースでは、問題になること、あるかもしれませんが、これらについては、また改めて議論することにいたしましょう。


本件に関するさらに深い議論を「悪魔のささやき? 共感力」というエントリーでしております。こちらもご参照ください。