柳田國男さんの「木綿以前の事」に、木綿製品が出回るようになって結核が増えた、なんてことが書いてあります。それ以前は、布といえば麻か絹、これに代わって木綿製品が大量に出回るようになると、綿埃が出てくる、これが結核の原因である、などというのですね。 ... "ネット以前の話" を続けて読む
月: 2005年1月
レイヤ7で行っている実験は、、、
「レイヤ7」は、自作のSFなんですけど、これ、「悲しきネット」で議論した社会関係とその根底にある哲学を更に詰めるための、ある種の実験的小説なのですね。(まあ、エンタテイメント性にも配慮しましたが、、、)
で、本日は、その解説を、野暮を承知でやってみましょう。 ... "レイヤ7で行っている実験は、、、" を続けて読む
みんなが違うことを考えている、と考えること
これ、ひょっとすると、混乱を避けるための一つの知恵かもしれません。
逆の考え、みんなが自分と同じように考える、ということなのですけど、どうも、これが、ネットの混乱をはじめ、およそあらゆる世界の混乱の原因かもしれません。 ... "みんなが違うことを考えている、と考えること" を続けて読む
自分探し、教育の場でもテーマだと
日曜日の日経に書いてありましたね。個性をはぐくむ教育、どこかで聞いた覚えもある、、、でも、今の学校教育に、こいつはドダイ無理な話。もっと管理を緩めなくちゃ。 ... "自分探し、教育の場でもテーマだと" を続けて読む
『田舎者ブッシュ』対『哲人小泉』!?
「寝ながら学べる構造主義」内田樹著、文春文庫はお奨めの一冊です。結構面白い本、ということで、先週は、この本を何度か読み直していたのでした。 ... "『田舎者ブッシュ』対『哲人小泉』!?" を続けて読む
牙剥く知性と微笑む知性
竹林の七賢人とか、人里はなれたところで思索にふける、なんてパターンが昔からありまして、現在でも、象牙の塔、とか、まあ、世間と一線を画すというのが知的活動の一つのあり方。
もちろんこれは間違ってはいない。雑音、考え事の邪魔になりますからね。でもこれが、社会と思想の関わりの基本になってしまうと、何のための思索か、ということになる。 ... "牙剥く知性と微笑む知性" を続けて読む