JR西日本の脱線事故に関する報道が連日なされていますけど、文字通り、常軌を逸した出来事、としか言いようがありません。
高速でカーブに突っ込んだ運転手、悪いにゃ違いないがまともな人、そんな印象さえ受けるほどの、JR西日本のお粗末さ加減でして、この運転手、責任転嫁の企業風土の犠牲者、なのですね。
最近相次ぐ企業の不祥事をみていると、企業経営に責任ある人々の「幼児化」とも呼ぶべき傾向が急速に進んでいるように思えます。人口に膾炙した幼児的経営者の代表がナベツネ、海老沢、堤あたりでして、幼児化という言葉が幼児に失礼なら、ナベツネ化と言っても良い。ま、これはこれで問題ありそうですから、幼児化、としておきましょう。
幼児、と言うのは、世間を知らない、常識知らず、という意味です。当人やその周辺では、自らを常識的であると思っているのでしょう。幼児にしたところで、自らの行動に疑問を挟む理由はない。でもそれは、その場でのみ通じる、ローカルな常識でして、より広い世界から見れば、ローカルな常識的行為も非常識、かも知れない。
今の日本、社会全体に常識が希薄化している。これは、大きな問題でして、常識というものがあって初めてコミュニケーションが成り立つ、日本社会の中でコミュニケーションが取りにくくなっているのですね。
今の若者、コミュニケーション能力が低い、などといわれていますが、実はこれ、若者自体に問題がある、というよりは、社会の常識が希薄化した、そこに問題があると私は思うのですね。
で、何で常識が希薄化してしまったのか、といえば、社会が変化したから。かつての日本、色々と変化はありましたが、戦後社会という、一つの枠組みは確固としてありました。
米ソの対立ははっきりしていたし、与党と野党、右左の対立も明確、企業も浮き沈みはあったものの、そこそこやっていれば成長できた。
それが、世界も変わってしまった、憲法も変えようかという時代です。野党民主党は、かつての自民右派から社会党まで、訳分からない寄せ集め。実質的な最大の野党の役割は、自民党の派閥が果たしているも同然。
新聞も、朝日の迷走は今に始まったことじゃないのですが、日経新聞まで、最近では、首をひねる書きっぷり。一頃、異様にトヨタを持ち上げてくれていたのは、まあ良いとしても、ソニーの決算報道や、昨日朝刊のマイクロソフト決算の記事、なんかおかしい。マイクロソフトは、売り上げの伸び一桁に鈍化、というのが見出しですけど、利益二倍の方がよほど重要であるはず。経済新聞、どうしてしまったのでしょうか?
形に表れたもの、これなら誰の目にも明らかですから、共通認識も生まれやすい。でも、形が変化している状況下、今の日本の社会では、外見はあてになりません。その変化を生み出している、原理原則の部分を考えなくちゃいけない。その根底の部分での共通認識が必要になるのですね。
で、今の企業の人間、まあ、一部かもしれませんけど、根底部分の認識がおかしい。結局身内利益の共同体。それが表面化しているのが、最近の企業の不祥事でしょう。そんな身内の論理が常識では、外部の人間には理解しがたい。それが社会を動かしている。若者達、コミュニケーションをとり難いのも、ある意味、当たり前、なんですね。
でも、今の日本、絶望的状況か?といえば、そんなこともない。教育はいきわたっているし、そこそこ豊か、安全も保たれているし、何よりも平均寿命が長い、これは世界に誇っても良い状況です。あとは、きちんとした世界観を持つこと。法の支配を確立すること。
世界観に関して言えば、戦前思想への回帰が目立つのですが、これは、全くの逆効果。これも、幼児化の一つの表れでもあるのですね。
最近の自殺の増加も、経済的理由はあるものの、世界観の喪失が一つの理由。この病理現象はそこらじゅうに現れておりまして、あまり猶予はありません。国際社会にも十分に通用する、世界が信頼する世界観、それをみんなが常識として共有すること、これが課題なのですね。
さて、じゃあどうするのか、これはこれで大きな問題ですから、また日を改めて議論することに致しましょう。