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前髪の行方・・・「ネギま」を考える

「ネギま」というアニメ、えらく気になります。それも悪い意味ではなく、ヘンな意味でもなく、なんといいますか、私の知性を刺激する、とでも表現したらよいのでしょうかね。

まず、このアニメを御存じない方のために簡単に御紹介いたしますと、系統は「女だらけ」、31人の女子中学生と若い男子教員(年齢は小学生)の繰り広げる、どたばた冒険譚、です。学術的には、「萌え系」の深夜美少女アニメに分類するのが正しいのかもしれません。

でもこれ、コミュニケーションを研究する人間にとっては、萌え萌えアニメ、以上の意味がある。

この話の主人公、魔法使いのネギ先生でもなく、先生の保護者的立場(!)にある少女でもなく、無論、その花形満的ライバルでもなく、実際の所は「自閉症的少女、宮崎のどか」でありまして、彼女が、いかにしてコミュニケーション能力を取り戻していくのか、その教育環境がこのアニメの主要なテーマであるとみなされるのですね。ま、これは私の勝手な解釈ですが、、、

この辺は製作者(関東魔法協会)も良く御存知の様子で、最近ではCMのナレーションに起用。のどか、最後に「ネギ先生、なんとか、ちゃんと喋れました」と。実にはっきりしていますね。観ている当方といたしましては、良かったね、というしかなく、ほっとした、というのが実感。

で、この教育環境といいますか、枠組みはOP(オープニング:番組冒頭の主題歌の流れる部分)に明瞭に表現されておりまして、荒く描かれたハートが2分割、4分割を繰り返して32の小さなハートになる、で、それが裏返されて、それぞれの生徒の顔写真になりまして、最後にまたハートが融合して一つの大きなハートになる、とまあそんな映像が短い時間に映し出されます。あ、登場する女子中学生は総勢31名、先生(青いハート)を加えて2の5乗、32になるのですね。

OPの最初のシーンはレンガ造りの建物、これは学校の贅沢さを表現したものでしょうが、東京駅風といいますか、そのモデルとなったアムステルダムの王宮といいますか、法務省旧庁舎をイメージしていただくとわかりやすいですね。これはどうでも良いことですが。

で、タイトル「ネギま!」の文字が消えると、画面は上方にパンして太陽が映し出されます。で、それをビニールボールが隠すのですが、2001年宇宙の旅の惑星直列を連想させるシーンですね、などというと褒めすぎか。で、そのボールが落下して、バレーボールが始まる。

水着姿の少女のバレーボール、これは萌え系アニメのお約束、なのでしょうが、それぞれに水着の色と形が異なる、これは一つのポイント。「ストップひばり君」のスクール水着とはだいぶ異なる、という所は、一つ記憶にとどめておいて欲しい点です。

で、2人で受けるのが2回、3人で受けるのが9回、合計で31人が、きっちりと出てきまして、当然受ける人は一人なのですが、他の人も、微笑んだり万歳をしたりする。この点も注目。

その次のシーンは、ネギ先生が魔法を使うところでして、これはどうでも良いシーンです。問題はその次、画面は左右に分割され、左はネギ先生、右は生徒が一人ずつ大写しになり、なんとキスをする。ま、画面が分割されているので、実際の接触は、なし、なのですが、PTAが問題視しそうですね。でもこのシーンはOPのもう一つの重要なポイントでして、31人、全ての顔が次々と出てくるその下には、声優と生徒の名前が出てくるのですね。

あ、おなじみの名前がお一方、堀江由衣、シスプリの主題歌唄っていた方では、、、ま、そんなことはどうでも良いのですが、この辺まで御紹介すると、OPのテーマは明らか、生徒一人一人の存在を認める、で、それが小さなハートに結びついておりまして、先生を含めて全てのハートが大きな一つのハートに融合する、と、まあそんなことでしょう。で、ハートの裏側の絵は制服姿なのですが、水着は色も形も実に様々、この点が重要。

ED(エンディング)も、OPと似た造りで、こちらは、パジャマ姿の生徒たちが思い思いの寝相で1~4名寝ているところを上から撮影した画像になっておりまして、パジャマの色や様式もそれぞれに異なるのですね。これも、31人出てくるのでしょう。数えたわけではありませんので、あるいは違っているかもしれませんが、多分そのはず。

もちろん、話の内容も、個々の生徒の性格、得意技は相当に異なるのですが、これは、毎回異なりますので、一々紹介してはおれません。でも、OP、EDは象徴的ですね。

結局の所、生徒の多様性を認めた上で、クラスの一体化を目指す、それがこのアニメの主張。このような方向は、現実の教育の場にも欲しいものですし、より広い社会関係にも望まれるもの。大きな所では、国際関係もまた、このような関係であって欲しいもの、構造主義、なのですね。

このアニメで特徴的な点は、生徒の名前が尊重される。氏名権が人格権の一要素であるように、名前は人格と結びつており、生徒の名前を尊重することは、人格を尊重するということです。

今の世の中、人はマスで扱われ、数字で管理される。でも、本来、人はそれぞれに違うもの。その違いは、個々の人の名前に結びついて、それぞれの人の個性となって現れる。個性を否定する傾向が強い世の中なのですが、このアニメ、多様性と個性に立脚してまして、自閉症的「のどか」の個性すらも、認められ、尊重される。これはタダモノではありません。

漫画にせよ、アニメにせよ、読者の支持がないと成り立たない仕組みが出来てまして、漫画であれば読者のアンケートで延長・打ち切りがきまるし、アニメなら視聴率がモノを言う。ネギま、これまで21回放映されておりまして、一応、視聴者の支持を集めていると解釈できます。

このようなアニメが受け入れられる、その背景には、このアニメが主張する社会関係、これを求める人たちも多いのではないだろうか。昨夜は、そんなことを考えながらHD録画した深夜美少女アニメを鑑賞、萌え萌えの、優雅な時間を過ごしていたのですね。


しかし、「宮崎のどか」でヤフーの検索すると、えらい数ヒットしますね。アニメを御存じない方には、一度検索されると、雰囲気をわかって頂けそうです。