少々訳ありで、加納朋子さんのミステリーはちょくちょくチェックしているのですが、スペース、なぜか2冊も買ってしまいました。
前回読んだとき、よほど印象に残らなかったのでしょう。まあ、内容を忘れてしまったミステリーなら、2度読んでも楽しめる理屈なのですが、印象に残らなかった、ということは、あまり面白くもなかったのではないかなあ、などとろくな期待もいたしませんで、通勤バスの時間つぶしにページをめくっておりました。
でも、今になって読みますと、ちょっと面白いことが書かれております。
お話の中、最初のほうに「宇宙地図(スペース・マップ)」というのが出てきます。これは、太陽系をリアルに描いたポスターでして、この「スペース」がこの本の題名になっているのか、という気にもなるのですが、このポスターをめぐる一つの謎が提示されるのですね。
何が謎かといえば、この宇宙地図、惑星が8個しか描かれていない。なんと冥王星が描かれていないのですね。
まあ、今となっては、驚くような話ではないのですが、このミステリーが出版されたのは2004年、雑誌アスキーへの初出は2000年ですから、最近の太陽系の惑星をめぐる大事件には何の関わりもありません。
まあ、その謎解きは、本書を読んでいただくことにいたしますが、この状況、とても面白いと思いませんか?
まず、このミステリーが古典としての地位を獲得することは、相当に困難ではないか、と思います。でも、何かのきっかけで、何十年か先の人がこのミステリーを読む可能性は、ゼロとはいえないでしょう。ま、図書館などもありますしね。
で、何十年後かにこのミステリーを読んだ人がいた、と思いねえ。この人にとって、太陽系惑星が8個しかないことは何の不思議なことでもなく、これを不思議と思う登場人物のほうが、よほどのミステリーである、と思うであろうこと、疑うべくもありません。
ね、面白い状況でしょう。
世の中、真理とされることも移ろいやすく、昨日の常識は明日の非常識、教科書だって改訂しなくちあゃいけません。学校では、「先生の教えること、教科書に書いてあることを信じ込むようでは、ろくな大人になりません」ということをきっちり教えなくてはいけません。少なくとも、この一言だけは、永遠に変わらぬ真理、といえるでしょう。(矛盾)
そういうことを敏感に感じ取ったのが、ニュートン力学崩壊の現場に立ち会ったフッサールだったはずで、それが「ヨーロッパ諸学の危機」という本となったのではないかと思います。なるほど、なるほど。最近フッサールを深読みしたのも、さほど無駄なことではなかったように思います。
とはいえ、何が起こるかわからない今の世の中、物理学の基本法則ならばともかく、太陽系の惑星が一つ減ろうと三つ増えようと、たいした問題ではないように、私には、思えるのですね。
そんな思いがあればこそ、このミステリー「スペース」は、なんともタルいミステリーである、という印象を受けてしまうのでしょう。だって、冥王星なんて、あったって、なくたって、どうでも良いじゃん。
まあでも、通勤バスに揺られる何十分かの間、このタルい世界に浸るのも、まあ、悪いことではないかもしれない、なんて気も、なぜか、するのですね。
そもそもこれ、なんでアスキーなんかに連載したのでしょうか。アスキーといえば、往年の、コンピュータおたく御用達のマイコン専門誌。ふうむ、最新のテクノロジーの世界に生きる人達も、タルい世界に憧れたりする、ということなのでしょうか。まあ、なんとなくわかるような気もいたしますが、、、