本日読みました本、その2は、斎藤慶典著「哲学がはじまるとき―思考は何/どこに向かうのか」です。
同書によりますとと、「えっ! どうして?」という当惑から哲学が始まる、ということなのですが、29頁目で哲学が始まってしまいました。この部分を引用いたしましょう。
地上ですべての物体が落下する原因は(「なぜ林檎の実は落ちるのか」)、地球の自転によってその中心に向かって垂直の力が働いているからである。
まあ、これだけですと、何かの間違いではないか、とも思ったのですが、68頁でもう一度やってくれます。
「では、なぜ地球上の物体には重力が働くのか」、「なぜ、地球には重力という力が存在するのか」……というわけだ。そして科学は、この問いに地球の自転を以って答える。物体の回転はその回転の中心へ向かう求心力を惹き起こすのであり、地球という巨大な物体におけるこの求心力が重力なのだ。重力の原因は地球の自転なのである。
一体どうしてしまったのでしょうか。一瞬、マッハの原理について考え直してみましたが、むしろこれは「逆マッハの原理」です。まず、中学の物理の授業をまともに受けていれば、このようなとんでもない記述はできないはずです。
おまけに、著者が思い違いをすることがあったとしても、出版にあたっては多数の人の目に触れるはず。筑摩書房の担当者は、一体なにをしていたのでしょうか。
著者に対する悪意の故に、このような記述をそのまま出版させたのではないか、という深読みもできそうです。なにぶん、著者自身によるあとがきによりますと、この本を企画した筑摩書房の担当者は「最近この人の書くものが面白い」とのたまったそうですが、この「面白い」、悪意の塊とも読み解けるのですね。
まあ、なんとも痛々しいものをみてしまった、との感を強く受けた次第です。
ちなみに内容はパス。ギリシャ時代の哲学者について色々と述べておられるのですが、当時は哲学がすべての学問を含んでおりまして、今日の物理学、自然科学もギリシャ時代は、哲学の一部であったのですね。
これについて今、論じるのであれば、当然、今日の物理学は踏まえて論じなくてはいけません。でも、重力に関する理解がこの程度であるなら、その他の理解も推して知るべし。
まじめに考えるだけ、時間の無駄、と判断すべき一冊ではあります。