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status: unknown 多値論理の世界

「知り得ないことは語り得ない」、という原理を物理学の基本原理にすべきである、という主張を、本ブログでは行ってまいりましたが、それでは、科学哲学の世界はどうなるだろうか、という疑問が生じるのは至極当然のことです。

ここで、「科学哲学」と言いますのは、狭義の科学哲学でして、「第一哲学」すなわち科学が成り立つ前提としての哲学ではなく、科学が成り立つということを前提とした上での哲学、という意味です。

狭義の科学哲学は、論理学に近い世界でして、いかなる条件で「真」であるといえるのか、といったことを議論いたします。この世界に、「知り得ないことは語り得ない」という原理を持ち込みますと、「真」、「偽」の他に、「語り得ない」という論理状態を設定する必要が生じるのですね。

具体的な例で申しますと、シュレディンガーのネコの思考実験におきまして、ネコの状態は、「生きている」か「死んでいる」かのいずれかである、とするのがこれまでの物理学の常識であったのですが、私の「知り得ないことは語り得ない」という原理を前提といたしますと、これ以外に「不明」という状態も取りえます。

ホイーラーの遅延選択実験の場合は、とりうる状態は、(1)粒子がパスAを通過、(2)粒子がパスBを通過、(3)波が双方のパスを通過、(4)わからない、の4通りとなります。これは、「命題:粒子である」および「命題:パスAを通過した」という、状態{真、偽、不明}をもつ二つの命題に変換することができます。

一般にとりうる状態の数はいくつにもなりえるのですが、全て3つの状態{真、偽、不明}をもついくつかの命題の組み合わせで表すことが可能です。

たとえば、量子力学的にシャッフルしたカードの一番上のカードは、52通りの状態を取りえまして、これに、わからないを加えた53通りの状態がありえるのですが、{赤、黒、わからない}などの命題を組み合わせますと、3値のみを取りえる命題6個で、すべての状態を表すことが可能となります。

{true, false, unknown}の3通りの値をとりえる論理は、3値論理として知られておりまして、数理科学が昭和55年に特集号を出しているのですが、ちょっとネットでは調べることができないようです。ま、この特集号につきましては、いずれ、このブログでご紹介したいと思います。(こちらで紹介しております。)

いずれにせよ、普通に使われております、真/偽のみの値をとりえるの二値論理の他に、不明、という値を加えました三値論理という考え方は既に検討が行われておりまして、ここで、物理学の基本を二値論理から三値論理に変更したところで、まあ、多少の混乱はあるといたしましても、学問の根幹が崩れる、というような事態には至らないのではなかろうか、と思う次第です。

さて、多値論理こそ科学の基本、ということになりますと、狭義の科学哲学の世界も面白いことになりそうです。なにぶん、論理学の基礎を固めた感のありますヴィトゲンシュタインにいたしましても、私のみたところでは、二値論理の世界の人。

なにぶん、以前読みましたヴィトゲンシュタインによりますと、世界は成立している事柄の総体であるというのが大前提であるのですが、三値論理によりますと、世界は成立していることがらと、成立しているかも知れないことがらの総体であるという形に、大前提を変更しなくてはなりません。

まあ、論理学に関しましては、私は専門外でして、この部分を深く突っ込むつもりはないのですが、狭義の科学哲学にとりましても、「知り得ないことは語り得ない」という原理は、新しい地平を切り開くのではないか、と考えている次第です。


昨日の記事に話題を二つ追記しておきます。

まず、第一の話題。{true, false, unknown}の三値を取りえる論理というものは、ひょっとすると、科学の本質に関わるものであるのかもしれません。

ファインマンは、研究のエッセンスは不確実性にある、と述べております。わからないことがあるからこそ、研究を行う意味があるのでして、すべてがわかってしまった世界では、もはや研究などという行為は意味を失います。

そういう意味では、unknownという状態は、科学を成り立たせる上で、なくてはならない状態である、ということもできそうです。

もう一つの話題。三値論理に良く似たものとして、ファジー論理というものがあります。こちらは、unknownではなく、中間の値をとる論理でして、たとえば、黒か白かの間に濃淡の異なるさまざまなグレー領域を考える論理です。「限りなく黒に近い灰色」なんて表現を良くみかけますね。

ファジー論理は、元々が連続的な値を持つ対象を二値で表現したことの無理を解消するもので、制御の世界で有効性が確認されております。

たとえば、エアコンの温度制御を、暑ければON、涼しければOFFという二値制御から、暑さに応じて冷却力を変える、などといたしますと、より快適になりますし、電力消費も低下いたします。

ただ、これは、制御を二値で行なおうとすることに、そもそもの無理があった、と解釈すべきで、工業機器などの精密な制御を要求される分野では、昔から値を用いた制御が行われていたのですね。

ファジー論理も、真と偽の間に、多数の不明の状態をもたせることができます。この場合は、真から、非常に真らしい、真らしい、全くわからない、怪しい、非常に怪しい、偽である、などの、何段階もの状態を取りえるのですね。

ファジー論理と三値論理、科学の世界にあてはめるべきはどちらでしょうか。上で例にあげました観測問題の場合は、三値論理をあてはめるのが良いように思うのですが、量子力学の複雑な問題では、数値的に処理される場合もあるでしょう。ケースバイケース、であるのかもしれませんね。