本日は人身事故ということで、あちこちで電車が遅れておりました。相場が急変した日に、このようなことが起こりやすい、という印象を私は受けておりまして、相場で失敗した人の存在が、この電車の遅延の原因であるのかもしれない、などと、ついつい考えてしまうのですね。
しかし、仮に相場がギャンブルであったとしても、命まで賭けるのは少々やりすぎです。それどころか、相場はギャンブルですらありません。企業は利益を出すから存在しているわけでして、その企業の資金の一部を負担して利益の分け前にあずかるという、株式投資そのものは、リスクはありますけど、基本的には利益があがっても不思議のない世界なのですね。
投資を行う際は(ギャンブルをやる際もそうなのですが)、リスクをきちんと認識すること、リスク対策をきちんと行うことが絶対に必要でして、これができない人は、投資もギャンブルもすべきではない、と思うのですね。
まあ、それが簡単にできてしまうことがこの社会の未熟なところでして、そういう人たちの存在のおかげで利益をあげる人たちの倫理観も問題だと思うのですね。もちろん、企業は倫理と無縁である、というのであれば、政治の世界が何らかの規制をかけなくてはいけないところです。
その政治の失敗が、実は現在問題となっておりますサブプライムローンの焦げ付きの原因でもあるわけで、住宅価格が上がりつづけるという虚構の元に、信用の低い人たちに、最初は低利だけど、結局は高利で金を貸す、債権を売り飛ばしてリスクを他人に転嫁し、これが繰り返されるうちに、何がなんだかわからなくなってしまった、などという結果を招いてしまいました。
これは、金融商品のリスクが明確化されていない、という点も大いなる問題ではあるのですが、そもそもの始まりは、破綻しそうな相手にお金を貸した、という問題でして、住宅価格が上がりつづける、という前提がまかり通っていたことが問題であったのですね。
政治のできることは、二段階金利、といった問題先送り形の融資を規制することではないか、と思うのですね。似たことは、わが国の住宅金融に際しても行われておりまして、こうした行為が、将来の金融不安の元となる、と私は思う次第です。
サブプライムローンに関しましては、いまさら言っても致し方ないこと、ではあるのですが、少なくとも、無理な信用取引や、5倍を超えるレバを効かしての為替証拠金取引などは、市場が落ち着いた段階で規制する、ということも考えなくてはいけないのではないかと思います。
このような規制は、一時的には、相場の下落を招くかもしれませんが、長い目で見ればマーケットの健全化、安定化につながるのではないでしょうか。
いずれにせよ、電車に飛び込む人が出る一方で、そうしたリスクを抱えた人の存在の上で大いに儲ける企業がある、という社会は、どう考えても不健全です。これに対処するためには、リスクに対する身の処し方を多くの人に知ってもらうことも大事なのですが、社会的規制、というアプローチもまた必要である、と考えております。