本日は、シェークスピアの「夏の夜の夢」を読むことといたしましょう。
1. 夏の夜の夢という喜劇
シェークスピアに関しては一言あります福田恒存氏の翻訳になる新潮文庫版のこの一冊、お値段なんと税込み459円とお買い得。これも大量に売れると、新潮社が踏んでの値付けではあるのでしょう。
で、なんでこんな本を読む気になったかといいますと、少し前に読みました「ぜんぶ手塚治虫!」で手塚治虫氏が同書に触れていたからなのですね。
何と書いてあったか、正確なところは忘れましたが、「あれは喜劇だ」といったことを手塚治虫は語っておりまして、本音では「ギャグ」と言いたかったのではないか、と私は深読みした次第です。
シェークスピアといいますのは、英国を代表する文学者でして、私も以前、「ハムレット」他数冊を読んだものです。でも、あまり面白い作品でもないね、というのが偽らざる感想だったのですね。
あ、この新潮文庫版の「新ハムレット」、すごいですね。訳が太宰治で、こちらもお値段なんと499円のお買い得。太宰治にハムレットにシェークスピア、ですよ。さりげなくこんな本を持ってデートに臨めば、彼女はいちころとなること請け合いです。ま、その方が多少なりとも知的な方であれば、の話ですが、、、
あ、もちろん、知的な彼女はハムレットくらいとうにご存知でしょうけど、これが太宰治訳、というところが凄いのですね。ちなみに、太宰治を知らない方は「コージ苑」をご参照ください。
(2018.11.13追記:とんでもない間違いに気づきました。上のリンクは「コージジ苑」でした。コージジ苑は、著者の相原コージ氏がじじいになったため、以前の題名であります「コージ苑」を「コージジ苑」に改めたということ。なぜ今頃になって書き直したかと言えば、相原氏、「稼ぐ必要が生じたから」だそうです。アマゾンの評をみれば、あまり内容はお勧めできそうもありません。また、太宰治は、こちらにはどうやら登場していない様子です。ちなみに、元々のコージ苑は、こちらから入手できます。)
2. やりたいやりたい、はやくやりたい
閑話休題。で、同書を一読しての感想ですが、ちょっとおかしい。
何がおかしいかと言って、最も穏当な性格のキャラとの位置づけにありますアセンズのシーシアス大公が、お話の初めから終わりまで、「やりたい、やりたい、早くやりたい」としか解しようのないセリフを吐きまくっているのですね。えらく品のない話ではあります。
これがイギリスを代表する文学者でありますシェークスピアの作品ですから、英国人とはスケベじじいの集団かもしれない、、、などと考えてしまうのですね。
まあ、これは冗談半分にそう考えていたのですが、古い記憶をたどりますと、英国国教会の成立も、王様の離婚を認めるの認めないとの紛争が発端でしたし、近年はチャールズとダイアナの悲喜劇を見せ付けられたことを思い出します。「英国人はスケベである」との仮説は、必ずしも外してはいないのではなかろうか、などという気にもなったりいたします。
3. 夏の夜の夢のあらすじ
さて、この作品、内容を一応ご紹介しておきましょう。
アセンズ(アテネ)のシーシアス大公は、数々の女遍歴を経てアマゾンの美女ヒポリタとの結婚を控えております。
そこに、一人の女性ハーミアと、彼女に思いを寄せる二人の男、ライサンダーとデメトリアスが登場します。デメトリアスはハーミアの父が定めた婚約者である一方、ライサンダーはハーミアが恋する人。さらには、デメトリアスに心を寄せる女性、ヘレナがデメトリアスを追いかけますことから、話がややこしくなります。
ほとんど、スクールランブルの世界ですね。(播磨は天満が好きで、天満は烏丸君が好き、天満の妹、八雲は播磨に心を惹かれていて、もう一人、お嬢〈沢近愛理〉が播磨を実は好き〈本人は否定しているが〉、さらには花井が八雲に恋焦がれている、という世界のことですよ。知らない人のため、野暮を承知の解説です。)
ところがここで、妖精の絡む別の話が進行しておりまして、そちらの話で、惚れ薬が使われるのですね。で、それをアセンズ人にも使うべしとの命を受けた妖精パックは、ライサンダーにこの薬を使用、ライサンダーはヘレナを恋するようになります。
妖精の話のほうは、妖精の女王を落としいれようと、女王に惚れ薬が使用され、シーシアス大公の結婚式に花を添えんとした素人芝居の主役、ニック・ボトムに妖精の女王が惚れ込むという次第。ニック・ボトムの頭は、トナカイに扮したキョンよろしく馬の頭になっている、という混乱振りです。
で、最後には、素人一座がはちゃめちゃな芝居をし、3組のカップルがめでたく誕生する結婚式の場で幕を閉じる、というわけです。「わーい、これでやっとやれる」というわけですね。なんじゃ、こりゃ。
で、これが英国を代表するブンガク、というわけなのですが、ちょっとヘンじゃないでしょうかね。これ、ラノベ、といわれても通りそうだし、ラノベにしては出来損ないですよ。
4. 特別なときだった夏至の前夜
まあ、福田恒存氏の解説によりますと、原題にあります“Midsummer-night”は、夏至の前夜でして、これを人口に膾炙しております題名であります「真夏の夜」と訳すのは日本語の語感にあわないというわけで「夏の夜」としたということです。
夏至は英国では特別な日で、妖精が活躍する日でもある、というような話がこの題名の下敷きにあったりするのですね。
まあ、私などが考えますと、夏至のあります6月は、ジューンブライド、なんて言葉がありますように、結婚するには良いシーズン。まあ、そういうおめでたいお話である、ということではないか、という気もいたします。
5. 古さの価値
とはいえ、そんな講釈をされましても、つまらないものはつまらない。これは、作品を楽しむ、というよりは、骨董品をめでるような感覚で鑑賞するしかないのかもしれません。
なにぶん、この作品が誕生しましたのは400年と少し前。日本では関が原の合戦をしておった頃の話です。そんなときに、海を隔てた英国に、今から考えると少々出来損ないとはいえ、ラノベモドキが登場した、というのは、ある意味驚くべきことでしょう。
まあ、わが国には、ソープオペラの元祖とも言うべき源氏物語が、そのはるか昔にありましたし、演劇としては、はるかに完成度の高い、能、狂言が存在しておりました。でも、英国におきましては、シェークスピアが孤高の星、であったわけですね。
ま、目をイギリスの外に転ずれば、はるか以前に、ギリシャ悲劇、なんてモノもあったわけですが。
何事も、古いものにはそれなりの価値があります。今ではアタリマエのようなことであっても、400年前にそれを作り出す、というのは、そうそう簡単なことではありません。特に、創作の世界におきましては、早い者勝ち。同じものをあとで発表したのでは、物まね、ということになってしまいます。
「ああっ、女神様 ちっちゃいってことは便利だねっ」でも、ウルドが惚れ薬を誤って飲んで、鼠の岩田光男(通称「がんちゃん」、声優は岩田光男氏)に惚れこむ、という一話がありました。これは、夏の夜の夢の二番煎じ、といわれても仕方がありません。ま、あれはあれで価値があるのですがね。
その他、キョンのトナカイ芸にしても、ひょっとするとここに出てまいります馬の頭と素人芝居を下敷きにしているのかもしれないのですね。
まあ、そんなことを考えますと、ひとたび創作の道を歩もうと考える人は、それが面白いか面白くないかに関わらず、シェークスピアぐらい読破しておく必要がある、ということでしょう。
で、これを評論しようとする人間なら、シェークスピアはもちろんのこと、ヘミングウェーからネギま!まで、きっちり押さえておかなければならない、というわけですね。でも、これは大変なことでもあるような気がいたします。ま、他人の悪口を気にしないのであれば、何でもやれるのですが、、、