コンテンツへスキップ

香山リカ著「なぜ日本人は劣化したか」を読む

本日は少々毛色が変わったところで、香山リカ著「なぜ日本人は劣化したか」を読むことといたしましょう。

本書を読んで最初に感じたことは、少々おかしなことがところどころに書かれている、ということです。たとえば、次のような箇所ですね。

「住宅面での衒示的消費の象徴である六本木ヒルズを見てもうらやましいとは感じないが、近所の公務員宿舎には腹が立つ」といった「ゆがんだ平等主義」や「いびつな正義感」に基づいて自民党に投票したからといって、実際には自分が思い描くような正義が実現するわけではない。(p103)

これは、香山氏に批判されている考え方が至極当然であるように私には思えます。

すなわち、六本木ヒルズはそこに住む人達が稼いだお金で買ったものであって、他人がそれをどうこう言うべきものではない一方、公務員宿舎には税金が使われており、その運用に関して国民がものを言うのは当然のことです。

それを「ゆがんだ平等主義」や「いびつな正義感」と言ってしまうことがまずヘンなのですが、こういう主張を著者がする背景が、次の箇所などからみえてまいります。

劣化は地殻変動のように起きている

小泉自民党が選挙で圧勝したあとに誕生した安倍内閣は「改憲」を公約に掲げた初の内閣、と言われ、国民投票法案が衆議院で強行採決される公算が強まっている。護憲派、リベラル派と呼ばれる人たちは、緊急集会や声明などで抵抗を示しているが、世論調査で「9条改正については保留」と考えている層がこの動きに加わる様子は今のところない。抵抗の運動はその内部だけで深化しており、外に広がって大きな勢力となる兆しはないのだ。

社会の中で劣化しているのは、リベラル派だけではない。たとえば、フェミニズムも急速に劣化しているものの一つである。(p108)

つまり、「改憲」の動きに目立った抵抗がないのが劣化だというわけです。しかし、リベラル派やフェミニズムといった、一部党派や社会運動の消長は別に劣化でも何でもありません。

真空管がトランジスタに、レコード盤がCDに取って代わられましたが、これらを「真空管が劣化した」とか「レコード盤が劣化した」とかは普通いわないものです。そんな言い方をしたら、全く別の意味に受けとられること、間違いありません。

香山リカ氏にとりましては、「護憲」や「リベラル派」や「フェミニズム」が絶対的な正義であり、これらの運動が沈滞することをもってわが国は劣化しているのだ、とおっしゃりたいのでしょう。

しかし、それはご自分が賛同する主張が世の中に受け入れられなくなっただけの話であり、強いて言うならば、劣化しているのは自分自身である、と結論付けるべきでしょう。

で、ここまでまいりますと、なぜ「国民は六本木ヒルズに腹を立てるべきであって、近所の公務員宿舎には腹を立ててはいけない」のか、という理由がなんとなく見えてまいります。

つまり、香山氏の立ち位置は社民党なんだ。だからその支持基盤であります公務員労組の利害を優先して考えなくちゃいけないと。そう考えますとこの不思議な考え方にも筋道がみえてまいります。

私は、社民党を支持することが悪いとは言いません。どの政党を支持するかなんてことは、個人の自由です。しかし、社会を分析する際に、党派的な利害関係に縛られるのは大いなる誤りです。議論の中におかしな部分がぽつぽつとありますと、全体の説得力がなくなってしまいます。

また同書には、統計判断に致命的な間違いがあります。問題は次の箇所です。

日本レコード協会がまとめたところによると06年の生産額は前年より約4%減って3515億円となり、8年連続で減少した。98年には6074億円あったものが、8年で約4割減った計算となる。

この背景には、ネットでの有料音楽配信の増加があるとも言われる。実際にPC向け・携帯向けを合わせた有料音楽配信の売上額は、06年は前年比56%増の534億7800万円になり、同年のCDシングルの生産実績をはじめて上回った。しかし一方、有料配信の多い曲ほどCD売り上げも高いことなどから、ネット配信の増加だけでCD全体の売り上げ減少を説明するのはむずかしい、という意見も少なくない。早く言えば、音楽業界全体が訴求力を失っている可能性があるのだ。(p66)

さて、「有料配信の多い曲ほどCD売り上げも高いことなどから、ネット配信の増加だけでCD全体の売り上げ減少を説明するのはむずかしい」などということはどうしていえるのでしょうか?

楽曲には、人気の高いものもあれば、そうでないものもある。だから、CDを購入する層とネット配信を利用する層が、少なくともその好みが重なっていれば、有料配信の多い曲ほどCD売り上げも高くなるのは当然です。

著者の主張するような結論が成り立つのは、どの楽曲も同じだけ売れるという前提があってはじめて言えることです。同じだけ売れるのであれば、ネット配信で売れた分だけCDの売り上げが減少するはずですから。

しかしこのような前提は、音楽の世界で成り立つはずがありません。ヒット曲はネットだろうとCDだろうと売れるし、売れない曲はどちらであろうと売れないのは当然の話です。

「どの楽曲も同じだけ売れる」などという幻想は、なんとなく小学校の運動会で全員を一番にしてしまう話を連想させるのですが、いくら社民党でも音楽の売り上げまでを横並びにしてしまうのは、少々行き過ぎであるように思います。

この部分の統計の誤読は、香山氏の主張する、最近の出版社も劣化していることの証拠の一つといえるでしょう。こんな初歩的な誤りは、出版に至る過程で編集者が気づいて著者に教えなければいけません。

そういえば、「地球の重力は地球の自転が原因である」などと書かれた書物も、堂々と出版されております(参照)。出版社が果たすべきゲートキーパー(門番)機能が最近少々怪しくなっていることは、まごうかたなき事実ではあります。

なお、近年CDが売れない理由の一つに、確かにネット配信の増加もあるのですが、レンタルCDの存在も大きく影響しております。

大型のステレオセットでレコードやCDを聴くというのは古いライフスタイルであって、自室でも携帯プレーヤで音楽を聴く人が多く、そこで聴く曲は、友人からのコピーかダウンロード、ないしレンタルCDのダビング、というのは極めて一般的です。

そういうところまできちんと分析しなければ、わが国における「音楽業界の訴求力」がいかなるトレンドにあるかを議論することは意味がありません。厳しい観方をすれば、同書は学術論文としては体をなしておらず、単に著者の気分を語っているに過ぎない、ともいえるでしょう。

さて、同書にはけちばかりつけておりましたが、確かに最近の日本は少々おかしい、という印象を受けることもまた事実です。しかしそれを「劣化の進行」などと言ってみたところで、何の説明にもなりません。

それぞれのおかしな現象にはそれぞれの原因があるものでして、これを分析することで共通の原因が見出せるとしても、「劣化」などという抽象的な表現では、なにが問題なのか不明瞭になってしまいます。

まず、著者にとっての大問題であります「リベラルの劣化」、早い話がなにゆえに社民党は没落してしまったのかという点は簡単でして、社民党が社会の変化についていけなかっただけの話です。

同書は全く触れていないのですが、わが国の抱えております最大の問題は財政の問題であり、700兆円にのぼる国の借金をどうするかが最大の問題です。これがあるが故に、政府の支出は切り詰めざるを得ず、社会福祉の後退や、公務員の定員削減なども避けては通れません。

また、規制を緩和して新興産業の後押しをすることも重要な政策であり、六本木ヒルズはその成功の結果であるともいえるでしょう。

国家財政が破綻した時に発生するのはハイパーインフレであり、最も被害を受けるのは社会的弱者です。これに本気で向かい合わないことが、香山氏を含むわが国の「リベラル派」の最大の問題であるといえるでしょう。

小泉自民党が前の衆院選で大勝利いたしましたのも、小泉氏がこの問題に本気で取り組む姿勢を示したからです。社会的弱者もこの問題に気づいたのでしょう。であれば、歳出削減に後ろ向きの野党、特に社民党が衰退するのは当然のことでした。

もう一点。最近ヘンな大人が増えている、と同書は指摘いたします。確かにこれは事実ですが、昔もヘンな人はおりました。で、街中でヘンな人を見かけると、「これは学校の先生ではなかろうか」と私などは考えていたのですね。まあ、それくらい、学校の先生にはヘンな人が多かった。

で、その教育の成果が今日の日本であり、特にヘンな人の教育の影響を強く受けた大人が、今日の日本でヘンなことをしているだけの話であると私は考えております。この対策は簡単で、教育の現場からヘンな人を排除すれば良いだけの話です。このような動きはすでに始まっております。

わが国の教育を取り巻く環境は極めて劣悪でして、その最大の原因は文部省と日教組の対立にありました。児童生徒を特定の思想の型にはめ込もうなどという教育でろくな人間が育つわけはありません。

教育がいかにあるべきかは、本来は、学問的な冷静な議論の対象とすべき問題であるにもかかわらず、学者にせよ評論家にせよ、その多くは政治的党派のひも付きでして、まともな議論が行われていないことがこの分野の不幸な状況です。

リベラル派を自認する香山氏も、この点につきましては、共犯者の一人であると言えるでしょう。

最近の社会が不寛容になっている、というのは香山氏のおっしゃるとおりです。しかし、モラルの劣化と不寛容は、必ずしも両立いたしません。なにぶん、最近では、街中でタバコをポイ捨てする人は格段に減りましたし、犬の散歩をする人はたいていは糞を持ち帰るようになりました。不寛容な社会であるが故にモラルが向上している、ともいえるのでしょう。

しかしこれが理想的な社会かと問われれば、肯定もし難い。ゴミ一つ落ちていないシンガポールの町並みと、公園には犬の糞やタバコの吸殻が散乱しているアムステルダムとを見比べて、美しいアムステルダムに対して、シンガポールは薄汚い印象を受けたものです。これはだいぶ以前の話ではありますが。

まあ、賭博に売春、麻薬も自由というオランダのやり方も少々問題であるとは思いますが、管理はできる限り緩くして大人の自由裁量に任せるというのは、一つの理想的な方向であるように私には思われます。

特に、教育の場で管理を強化して生徒を型に嵌めようとする現状は非常にまずいやり方であり、こんなことを続けていては、わが国に未来はありません。新しいものを創り出す力こそ、今後の先進国に求められるのであって、型に嵌った考え方から脱却する能力こそが、この国のこれからの人々には要求されております。

とはいえ、一流大学の入試合格を重視するならば、ある種のマニュアルを生徒に叩き込むのがもっとも効率的であることもまた事実でして、それを行わない学校が淘汰されてしまうことも悲しい現実です。

結局のところ、ヘンな学生しか集まらないと嘆く大学人は、そういう人を作り出している根源的原因が自らの行っている入試制度である、というところまで考えなければいけなかったのですね。

さて、今の社会の問題について、いろいろ書こうと思いましたが、楽天ブログの文字数の制約となってしまいました。この件につきましては、明日以降も、少しずつ書いていきたいと思います。