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日本はどちらに向かうのか。社会と経済は、、、

昨日のブログで、香山リカ氏の「なぜ日本人は劣化したか」を取り上げ、その中でわが国の抱えております大問題として、700兆円にのぼる公債残高があることについて簡単に触れました。

この問題は、短い文章では語りつくせるものでもありませんので、本日、稿を改めて再度議論することといたしましょう。

まずは、このグラフを御覧ください。これを見ていただければわかりますように、公債残高は、バブルの後半に頭打ちとなる構えをみせておりましたが、1990年代の後半から急増し、この12年ほどで3倍以上に増加しております。

もちろんこれは、バブル後の不況対策に大量の資金が費やされたためなのですが、これで問題が解決されたわけでもなく単に問題が先送りされただけでして、結局は、2003年の金融危機を迎えることとなりました。

国公債は、いくら発行しても、それを保有しているのは国民なのだからなんら問題はない、などという乱暴な議論も以前は耳にいたしました。しかし、国債を保有している人は、自らの資産としてそれを保有しているのであって、国の借金と併せてちゃらになる性格のものだなどとは考えておりません。

もちろん、借金をちゃらにする「徳政令」ができるわけもなく、国の借金といえども借金であり、何らかの形で返済しなければならないものなのですね。

さて、公債残高700兆円という数字は、なんと一般会計税収の10年分に相当すると、先のグラフの上には書いてあります。

単純にいえば、金利が10%になると一般会計のすべてを公債の金利に廻さなくてはならない計算です。今でこそ国債金利は1%程度だから何とかなっております。しかし、これは歴史的にも国際的にも極めて低い水準であり、いずれ金利が5%程度まで上昇することは充分にありえる話です。

そのとき起こるのは、国家財政の破綻であり、インフレーションとなるであろうということがまず考えられます。インフレが急速に進みますと、借金は軽くなりまして、物価水準が3倍になれば国債残高は実質的に1/3に減少いたします。

これが意味するところは、貯金や債券などの価値も1/3になるという意味であり、そうなる前に、円に連動する資産からその他の資産へと、資金を移動しなくてはなりません。その具体的対象は、株、不動産、外貨建て資産などでしょう。

こんな動きが起こりますと、経済が大混乱となることは必定です。であるが故に今日の中央銀行の使命はインフレの抑制であるとされており、これにより自国通貨に対する信頼性を維持することが至上命令とされます。このために打つ手は、金利の引き上げ、ということになります。

しかしながら、わが国の公債残高を考えますと、一定水準を越える金利引き上げはわが国の経済に破局的な影響を与える可能性が高く、ある程度以上の金利引き上げは政策的に難しいものと思われます。

と、いいますのは、わが国が金利を引き上げた場合、その後に発行する公債金利も上げざるを得ず、利払いのために更なる公債の発行が必要となり、金利支払いが雪だるま的に増加いたします。また、既発債の価格が低下し、これを保有する金融機関などに巨額の評価損が発生いたします。

そう考えますと、このまま推移した場合数年後(3~5年後か?)のわが国で起こりますことは、おそらく2~3倍程度の物価上昇と円の下落でして、その場合のドル円は285±50円程度に落ち着く計算となります。

このような状況下での負け組ははっきりしております。円建ての預貯金や固定金利の債券などの安全な資産で資金運用をしている人は、資産を半減させることとなります。逆に固定金利で借金して不動産に投資している人は勝ち組ということになります。

企業などは難しいところでして、借金が実質的に目減りする一方で、インフレがあまりにも進みますと金利を上げざるを得ないことから、支払い金利も増加いたします。要は、借金をして得た資産で利益を上げている企業が勝ち組となる一方、固定金利の円建て債を多く抱えた企業は破綻の危機に直面し、借金を有効に活用していない企業には難しい時代となります。

円安となりますと、輸出産業は大いに潤うはずですが、原材料が高騰し、インフレに伴い賃金も上げざるを得ないことから、丸儲けとはなりません。しかし、利益は確実に増えるはずであり、輸出関連銘柄は買い、ということになります。

さて、このようなことが起こらないようにするにはどうすれば良いかということですが、もちろんこのためには、公債残高を減らすことです。これには、出(いずる)を制して入るを増す、これに尽きます。しかし、出を制して入るを増すといいましても、公共投資を削減し、税率を上げただけでは、景気の悪化を招き、法人税や所得税などの税収が減ってしまいます。

出を制して入るを増すということの本当の意味は、無駄な出費を減らし、新たな収入を増やすということです。無駄が多ければ、いくらお金を使っても最後には死に金となり、公債残高を増やすだけです。公共事業といえども有効に使われれば、地域を活性化し、産業が振興し、税収が増加して元が取れるでしょう。

言葉を換えれば、財政再建の決め手は効率化にあります。効率化の決め手は人であり、公務員がしっかりすれば良いのですが、公務員で駄目なら民間に任せれば良いだけの話です。効率は、事後に測定できますので、実績も能力も、簡単に評価することができるのですね。

効率化の一つの手段は、規制緩和とこれによります振興ビジネスの興隆です。通信などといいますものは、技術革新の象徴のようなものですが、何年か前までは、電話線の利用は大いに制約がありました。それが今日では自由化され、わが国の高速ネット接続は国際的にも最先端となっております。

通信自由化以前のわが国では、固定電話網を独占するNTTはその地位に甘んじ、新しいサービスの提供には後ろ向きでした。しかし規制緩和が進みますと、同じ固定電話網を利用して高速なデータ通信が可能となり、さまざまなネットのサービスも可能となりました。

新たなサービスが可能になるということは、そこに新いビジネスの機会ができるということであり、そこに興ります新たな企業が社会に新しい価値を提供して利益を出し、税金を納めてくれます。

やれば出来るのが日本人でして、つまらない制約を外すのは政治の役割。これがうまくまわりますと、わが国の経済は大いに発展し、税収も大いに伸びて、公債残高どこ吹く風となりますことは必定です。

とはいえ、無駄な規制といえども一部の人にとりましては美味しい状態であり、社会全体が非効率であったところで、その組織にとってはもっとも効率的に稼げる状態です。従って規制緩和がさまざまな抵抗にあうことも、また当然のことです。

結局のところ、これが可能となりますのは、強いリーダーシップに政治が支えられることであって、安倍内閣や福田内閣が国民の支持を失っているのも、リーダーシップの不在を見せ付けているが故の結果であると思われます。

このような状態は、一刻も早く改善されるべきであり、いずれ自民党もそのような方向に進まざるを得ないとは思いますが、最悪の事態に備えることもまた必要なことであろう、と私は考えております。

今日では、同じ思いを国民の多くが抱いているであろうと思います。少なくとも、香山リカ氏が嫌悪するような、昼休みに経済誌を読むような人は、みな似たようなことを考えているのでしょう。このブログにしても、そのあたりを考えて運営しております。

こんなことは、この国で生活しております者にとっては当然の自衛策。それをするかしないかも含めて「自己責任」というものだろう、と私は思う次第です。

もちろん、政府が何とかしてくれるであろうと考えるのも、自己責任の元における個人の自由ではあるのですが、このやり方泣きを見る可能性が高いであろう、と私は考えております。