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佐々木俊尚著「ブログ論壇の誕生」を読む(#1)

本日は佐々木俊尚氏の「ブログ論壇の誕生」を読むことといたしましょう。

同書はこの9月20日に文春新書から出たばかりの非常に新しい本で、最初に扱われている話題も比較的新しい「毎日新聞低俗記事事件」です。

同書の内容は、ネット上の言論活動にかかわるさまざまな問題事例の紹介が中心で、著者による掘り下げが弱いとの印象を私は受けます。そこで本日は、同書の内容をざっとご紹介し、私のコメントをつけることにしたいと思います。

同書は4部15章構成でその内容は次のようになっております。

I ブログ論壇はマスコミを揺さぶる
第1章:毎日新聞低俗記事事件

毎日新聞英語版のコラムに、日本女性の性癖をめぐるきわめて低俗な記事が継続的に掲載されたことに対して、ネット上で批判が集中、毎日新聞への広告出稿にも影響を与える事態になったという事件を解説いたします。

第2章:あらたにす

朝日、日経、読売の3紙が共同で立ち上げたサイトあらたにすを批判的に紹介いたします。たしかにこのリンクをクリックしても、そこにみられるものはなんら面白いものではありません。

第3章:ウィキペディア

ウィキペディアの記事はだれでも編集できるのですが、だれが編集したかはウィキスキャナーで特定することができます。この結果、官庁からの、自らに都合の悪い記述を削除するなどの行為が明るみに出てしまいました。

まあ、これは官庁サイドの無知によるものでして、正体を隠して記事を書き直そうと思えば、そんなことは簡単にできてしまいます。つまりは、ネット上のデーターベースは、参加者の善意を前提としており、悪意あるものの攻撃には弱いという問題点を抱えていることはたしかなのですね。

II ブログ論壇は政治を動かす
第4章:チベット問題で激突するウヨとサヨ

中国政府によるチベット民主化運動の弾圧を非難する意見はネット上でも根強く、特に左翼がこれを批判しないことに対する批判的意見が多数出ております。しかし、そういう右派もすべての人権抑圧を批判したわけではない、との意見もあります。しかし、このような党派的な主張に対し、佐々木氏は批判的であり、以下のように述べております。

だがこうした党派性は、本来的にはインターネットの言論空間とは馴染まない。

なぜならネットという空間は、すべてをマイクロコンテンツ化してしまう―つまり党派性や人格から書かれた内容を解き放ち、ばらばらに断片化してネットの空間にまき散らしてしまうからだ。ブログは、書いている人物(ブロガー)や、いわんやそのブロガーの属する党派、そのブロガーの持つイデオロギーを軸としてではなく、書かれている内容(エントリー)だけを軸として、コメントやトラックバックによって議論を波及させていく。つまり属人主義からの開放であり、「だれが書いたか」ではなく「何が書かれているか」を重視するパラダイムへの移行である。

第5章:「小沢の走狗」となったニコニコ動画

2007年の参院選の直前、ニコニコ動画に小沢氏が登場し、年金問題について4分間の所信を述べるというコンテンツが公開されました。これに対する批判的意見をニコ動が削除したことから、「小沢の走狗」との批判を浴び、炎上したという事件です。

この批判は、当を得ているものもあるのですが、その多くは「ネットイナゴ」と呼ばれる「大量に集まっては数の暴力によってコミュニティをさんざんに食い荒らし、運営に破綻をもたらしてしまう群衆」であった、というのですね。このような現実を前にして、ネットに対するさまざまな思いに対し、佐々木氏は以下のように述べます。

ネットの善意、あるいは悪意に対する見方は、いまや真っ二つに分かれている。両極端に位置するこれらの書籍を読んでいると、これが同じインターネットの世界を描いているとはとうてい思えないほどだ。

そこに存在するのは悪意なのか、それとも善意なのか?―言論人たちはそこに白黒を求めてしまい、しかしその白黒が実は明確に分けられていないことに気づき、激しくとまどってしまう。そのとまどいが、今のインターネットを巡る議論の迷走を招いているのは間違いない。

第6章:志位和夫の国会質問

共産党がユーチューブにアップロードした派遣問題をめぐる志位委員長の国会質問にネットの人気が殺到したという事例を取り上げます。ロストジェネレーションと呼ばれる世代がネット利用人口の多くを占めており、若年層の労働環境に関心の高いことがその理由の一つではあるのですが、志位氏の主張形式が、事実を積み上げ理詰めで政府の対応を迫るという、ネットでの言論と同じ形であったことがネットの共感を呼んだものと佐々木氏は解析いたします。

第7章:安倍の窮地に暗躍した広告ロボット

この表題は,少々問題があるかもしれません。先の参院選の直前に、自民党に好意的な記事があふれかえったという事件があり、これが自民党の謀略ではないのかとの疑問が寄せられたのですが、どうもその正体は、アフェリエイト(ブログに広告を貼り付けてクリックさせることで収入を得るもの)目当てで自動的に大量に生み出されたブログであったようだ、ということなのですね。

ネット上のメッセージは、機械的に大量に形成することもできますので、その気になれば、特定のサイトにメッセージを集中的に送り、システムをダウンさせることすらできます。気に食わないサイトにしつこく意見を書き込むことだってさほど難しいことではないのですね。

とはいえ、機械的にできることなら機械的に防御することもできるわけで、いたちごっこ、という側面はたしかにあるのですが、きちんとした管理がなされているなら、このような問題は防止することができるはずです。

もちろん、現実は理想と異なっておりまして、nttpc.ne.jpのような、まともな企業が運営するサイトですらまともな運用ができていない、という事実があったりいたします。

III ブログ論壇は格差社会に苦悩する
第8章:辛抱を説く団塊への猛反発

我慢を知らない若者では勤まらないと題する橋本久義氏の記事にネットの批判が集中いたします。現実の労働環境の中で、若者たちは我慢して働いているわけですから、これは当然の反応でしょう。

以下は私の意見です。

橋本氏の記事には、企業に対する忠誠心を今日の社員に要求するような文言がみられるのですが、終身雇用制度が崩れてしまった今となっては、これは無理な要求というものでしょう。企業自らそうしてしまって、社員に忠誠心を求めるのは、お門違いもいいところです。

元々、終身雇用制度というのがおかしな制度なのであって、よほど経済が安定し、企業が順調に成長している時代でなければ成立しない制度なのですね。このようなよき時代は、すでに終わってしまいました。これからは、会社を移り変わり、キャリアアップしていく、という生き方が普通になるのではないかと思います。

あ、もちろん、公務員もそうすべきであって、自然とそうなるのではないでしょうか。つまり、公務員の終身雇用制度も、さほど遠くない時期に終焉のときを迎えるのではなかろうか、と私は予想しております。

しかし、一方で、向上心のない若者が増えている、という一点に絞っていうならそれは事実であろうと私は思いますし、これはこれで問題であるように思う次第です。このための企業側の配慮も十分とはいえないにせよ、自らの力は、自らの責任で、自ら磨くのが原則です。

終身雇用制度が崩壊してしまった社会においては、もはや身分は頼りにならず、自らの実力で自らの人生を切り開くしかありません。だから、仮に正社員であったところで自らを向上させる努力は必要だし、会社を渡り歩くつもりならますますその努力が必要である、と私は思うのですね。

もちろんそれは、現状に満足できずより良い生活を望む人にとって必要なことであって、現状で満足しているならそんな必要はありません。さほど努力しないでも、さしあたり生命の維持が可能であって、環境に恵まれていればそこそこの生活だってできる、結構な時代である、ともいえるのでしょう。

今の時代、誰かが何かをしてくれるなどという期待はあまりもたないほうが良いように思います。むしろ、そんなことを考えていると詐欺師につけ込まれるだけの、怖い社会であるようにも私には思われるのですね。だからこそ、現状に不満があるなら自らの価値を高めるべく努力するしかありません。

今日では、その気になりさえすればさまざまな情報がほとんどただで手に入ります。やる気になりさえすれば、何にだってトライできるのが今の社会である、ということもできるでしょう。もちろんその過程では、我慢も努力も必要なのであって、便利な社会=楽な社会、というわけではないことだけは確かなのですが、、、

あ、私の意見を書きすぎてしまいました。文字数も制限に近づいてまいりましたので、稿を改めて、本のご紹介を続けるといたしましょう。