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日本ジャーナリズムの問題をめぐる書物を読む

わが国の新聞をめぐっては、以前のブログにも書きましたように、恐怖感すら与える読売新聞の押し売りに悩まされたこともあり、新聞など信用すべきではないとは常々感じておりました(こちらも)。しかし、それは単なるわたしの感覚であり、第三者の意見が聞きたいところでもありました。

そういうわけで、最近、日本のジャーナリズム問題を扱う新書を種々眼にしたこともありまして、ここ数週間はこれらを読んでおりました。アニメばかりを見ていたわけではないのですね。

まず最初に取り上げますのは、毎日新聞を定年退社されました河内孝著「新聞社/破綻したビジネスモデル」です。同書は経営的な視点から最近の新聞事業をめぐる問題点を分析したものです。

バブル崩壊以降、新聞売り上げ部数の下落と新聞広告費の低迷により、新聞社の経営状態が悪化、2大新聞社であります読売と朝日が接近していることから、両社連携しての毎日・産経追い落し作戦を始めるのではなかろうかと、毎日出の筆者は危機意識を強めます。

新聞事業の問題の一つは異常な拡販にありまして、広告費との関係から部数至上主義に走り、公取委も禁じている販売店への押し込み(販売数量以上の部数を販売店に押し付ける)が現実に行われているといたします。これは、部数に応じた広告料金を支払っている広告主への背信行為であり、さらには売れない新聞を大量に廃棄していることから森林資源の毀損にもつながるといたします。

また、新聞各社がテレビ放送網に進出したことは、ジャーナリズムの多様化を阻害するとともに、政治家との結びつきを強化しており、ジャーナリズムとして不健全な方向に進んでおり、今日の日本のマスコミは、日本に残る数少ない「護送船団方式」の業態を取っているといたします。

最後に、毎日出の筆者らしい構想、すなわち、毎日、産経、中日の各新聞社が連携して読売・朝日に対抗してはどうかと提言しております。

第二の書物は上杉隆著「ジャーナリズム崩壊」です。同書はNHK、鳩山事務所、ニューヨークタイムズなどに勤務した経験を持つ筆者によります新聞批判で、中心を占めますのは日本のマスコミの無責任な体質と「記者クラブ制度」に対する批判です。

わが国の各所にあります記者クラブの閉鎖性は国際的にも非難の的となっているのですが、日本のマスコミには紹介されません。この閉鎖性ゆえ、フリーのジャーナリストであります上杉氏は情報の入手に苦労いたします。

海外のマスコミ(少なくともニューヨークタイムズ)は、第一報を伝えるワイヤーサービス(AP、共同通信社など)とは一線を画して、事件の背後に迫る解説を伝えることを使命としております。これに対してわが国の新聞・テレビはワイヤーサービス的な役割を果たす一方、真の意味でのジャーナリズムの役割は週刊誌に譲っているといたします。

第三の書物は原寿雄著「ジャーナリズムの可能性」でして、こちらは共同通信社に長年勤められた著者によります教科書的な書物です。

著者の問題意識は、読売新聞グループ主筆であります渡邊恒雄によります大連立構想を批判的に取り上げ、こうしたことは特異な例ではなく、新聞と政治との持ちつ持たれつの関係があるといたします。

同書は教科書的であり、広い範囲の話題を取り扱っておりますことから、ここではその詳細をご紹介することは困難です。ただ、原氏が業界での指導的立場に長年おられたことからか、表現はマイルドなのですが、それでもわが国のジャーナリズムの抱えております問題が深刻であることはよく伝わってまいります。

というわけで3冊の内容に付きまして駆け足でご紹介いたしました。いずれも新書でさほど高い本でもありませんから、御興味のある方は実物を購入されるのが良いのではないかと思います。

さて、これらの本を読みましての感想ですが、新聞をめぐっては、ひどいとは思っておりましたが、これほどひどい状況となっているとは思いませんでした。

実はわたし、以前は経済新聞を読んでいたのですが、ここ数年読むのを止めております。実際問題といたしまして、必要な情報はネットから手に入りますので、新聞を読まなくても全然困りません。その空いた時間とお金を、新書などの書物を買って読むのに費やしたほうがはるかに有意義であると思うのですね。

ここ数年、本屋に行きますと大量の新書が平積みでおかれております。わたしと似たような人が増えているのではないかと思いますし、需要があれば供給もあるのでしょうか、大量の新書が日々出版されております。まあ、中にはくだらないのも多いのですが、それでも新聞を読むのにくらべれば、はるかに有意義なお金と時間の使い方でしょう。

再版制度に守られた新聞の宅配が大きな問題を抱えていることは論を待ちません。押し売りなどという前近代的な拡販手法をとるような業界で、なぜ価格競争が不可能な状態におかれているのか、まったく理解ができません。また、「新聞社/破綻したビジネスモデル」のp23には、以下の記載があります。

毎日にとって泣きっ面に蜂だったのは、第一次石油危機の翌年、新聞業界が行った空前の値上げの先陣を切らされたことでした。高度成長期、二,三年ごとに値上げを繰り返してきた新聞業界では、独禁法の建前から一斉値上げを避け、大手紙が輪番制で先行値上げする不文律がありました。

これはいわゆる談合の世界であり、独禁法に抵触する可能性が濃厚です。「独禁法の建前から」などと、かつて大手新聞社の役員を務めた人物から語られると愕然としてしまいます。こんな業界に再販制度を適用すべきではありません。

現在の新聞・テレビが政府と癒着するのは現実であり、これを嘆いてみたところで始まりません。しかし、そうであることを理解したうえでこれらの情報を分析することは、それなりに意味のあることです。つまりは、新聞・テレビが伝える情報は、現政権に甘く野党に辛いものであるとみなすしかありません。しかしそれでも、人民日報やプラウダの記事と同等以上の、意味ある情報といえるでしょう。

もちろん、政府が特定のメディアに情報を提供したからそれでよし、とされるのは問題であるといわざるをえません。上杉氏が指摘する「キシャクラブ」の閉鎖性は改められるべきでしょう。

これはしかし、民主党政権になれば、相当に改善されるのではないか、と期待いたしましょう。なにぶん「ジャーナリズム崩壊」によりますと、民主党はすでに党本部で記者会見を開いており、記者クラブから脱却しております。民主党が政権をとった後も、この良き形態が続くことを祈るだけです。

さて、新聞がワイヤーサービス的役割に終始してジャーナリズムとしての役割は果たしていないという上杉氏の指摘は、なかなかユニークな着眼であると思います。しかし、そうであるなら、新聞社の生きる道はワイヤーサービスに徹することではなかろうか、とわたしなどは思ってしまいます。

新聞の宅配制度が縮小する傾向は将来も続くでしょう。再販制度はいずれ廃止され、拡販員による強引な販売や販売店への押し付けという異常な状況にも終止符が打たれるでしょう。いまだそうなっていないことの方が不思議な話です。

そうなったときに新聞社が生きる道は、河内氏が提言するような弱者連合による今日の事業形態の継続ではなく、おそらくはネットへの第一次情報の提供ではなかろうか、とわたしは思います。ワイヤーサービスとしての新聞社の機能は、記者クラブ制度が改善されたところで、依然強力であるようにわたしには思われます。

新聞社が第一次情報をすばやく伝える機能に集中するといたしますと、その情報を提供する先は、もちろん縮小したとしても印刷され続けるであろう自社の紙面でもあるでしょうが、主眼はネット、検索サービス各社への情報提供になるでしょう。

スペースの限られた紙面に掲載する場合に比べ、ネットは莫大な情報を流すことができます。新聞各社の強みはその取材網の充実であり、上杉氏によれば90年代に読売4,000人、朝日3,000人を擁した新聞記者が書く記事は膨大な量にのぼるでしょう。これをネットに流せば、その価値は計り知れないであろうと、わたしなどは思ってしまうのですね。

また、このような大量の記事が日常的に流れるようになりますと、ワイヤーサービスの使命であります速度を重視する限り、デスクの管理を徹底させることは事実上困難となり、上杉氏が描写するニューヨークタイムズのように、あとで訂正するという形をとる必要性もでてくるでしょうし、記者の多様性が記事に現れることにもなるでしょう。

このような形になったところで、新聞社は何も困りません。一部の輪転機は廃却するしかないでしょうけど、その結果紙の消費量は抑制され、森林資源の保護にもつながります。新聞販売店の売り上げは低下するでしょうが、現在でも新聞販売店は疲弊しており、子供に跡を継がせたがらないと河内氏は書いているくらいですから、販売店が統廃合することにさほどの痛みも生じないでしょう。

問題はテレビでして、これは本日のテーマからは外れるのですが、製作者からダイレクトに放送する形が主流となるかもしれないという、河内氏の以下の指摘が現実味があるように私には思われます。

『週間東洋経済』(06年10月7日号)の「当世時給番付」によると、フジテレビは7,582円で第3位。一方、テレビ製作プロダクションは2,000円以下。もし、規制が緩和され、文字通りの「多チャンネル時代」が到来して、何百とある下請けプロダクションが、それぞれ特徴を持ったテレビ局になったら――これが、独占的な国家免許で利益をむさぼっているテレビ経営者の最悪のシナリオなのです(ちなみに下請けプロダクションの実態を調べた公取調査も、全マスコミが黙殺しました)。

ネットを使えば免許もいりません。弱小プロダクションでは電波を獲得しても放送時間を埋めるのに困りそうですが、ネットならこの問題もありません。CMで稼ぐという民放のビジネスモデルであれば、広告主を取ってくるだけで簡単にネット放送事業が始められます。

現在すでに、このための障壁はほとんど存在しないようにわたしには思われます。おそらく誰かが始めると、各プロダクションが一斉に独自コンテンツの提供に走るのではないか、とわたしは邪推しております。Googleあたりがそそのかすのではないか、などとも推理しているのですが、さて、どうなりますことか。