本日は、米澤穂信著「クドリャフカの順番」を読むことといたしましょう。
同書につきましては、以前ご紹介しているのですが、今回は文庫版も購入いたしましたので、ハードカバーとの違いについて少々みていくことといたしましょう。
まず、摩耶花のコスプレが違います。
ハードカバー版のこの部分を引用いたしますと、次のようになります。
麻耶花の着込んでいるのは、インディゴブルーのジーンズに黒のトレーナー。10月初めの秋風にも耐えうる、実用的な服装だ。トレーナーのほうに、アクセサリーがついている。胸周りにぐるりと、大きな飾りボタンが縫い付けられていた。ポイントはこの飾りボタンなんだろうけど。
上から下までじっくり見るけど、うーん。心当たりがない。もう一度訊いてみよう。
「で、なんの装い?」
鼠をウエノアネサマと言うような、慎重に禁忌を避けた言い換えを、麻耶花は受け入れてくれた。まっすぐ前を向いたままで、ぽつりと答えを返してくれる。
「ヴァンデ」
「ヴァンデ? ヴァンデミエール? そんな服着てたっけ?」
「『滑走』の最後で……」
この部分、文庫版では次のようになります。
麻耶花の着込んでいるのは、オフホワイトの綿パンに緋色のカーディガン。10月初めの風にも耐えうる、実用的な服装だ。上着の方に、アクセサリーがついている。カーディガンの内には襟つきの白いシャツを重ね着し、そして腹まわりにぐるりと太いベルトが巻かれていた。ポイントはこのベルトなんだろうけど。
上から下までじっくり見るけど、うーん。心当たりがない。もう一度訊いてみよう。
「で、なんの装い?」
鼠をウエノアネサマと言うような、慎重に禁忌を避けた言い換えを、麻耶花は受け入れてくれた。まっすぐ前を向いたままで、ぽつりと答えを返してくれる。
「フロル」
「フロル? フロルベリチェリ・フロル? そんな服着てたっけ?」
「うん……あとで手袋もする」
以前も議論いたしましたように、ヴァンデミエールの翼(ご紹介はこちら)がさほど知られていないのに対し、フロルは萩尾望都の名作「11人いる!」のヒロイン(この時点では中性体ですのでヒロインと呼ぶのは厳密には正しくないのですが)でして、手塚治虫との対談の中でも誰もが知っているかのごとくに語られております。
わたしもこの作品は押さえておくべき作品であると思いますが、なにぶん初出誌が「別冊少女コミック」ですので、読者によっては拒絶反応があるかもしれません。と、いうわけで、イメージがつかめない方のために、右に画像(引用元は 11人いる(宣伝版))を載せておきます。
しかし、フロルはヴァンデミエールと違って、確か着たきり雀(衣装は変わっていない)であったはずで、「そんな服着てたっけ?」という質問は、少々的外れであるような気がいたします。だいたい、この服をちゃんと着られたら、気が付かないほうがおかしかったりいたします。ここはマイナーなコミックで攻めるハードカバー版が正解のような気もします。
同書はコミック版をベースとしているのですが、右上の絵はアニメ版でして、綿パンがブルーになっております。この点を利用いたしますと、ここでの摩耶花の返答は「コミック版の綿パンは白かったのよ。アニメじゃブルーだけどね」などとするのもありまね。
(2021.6.23追記:アニメDVD版はこちら『11人いる! [DVD]』から。)
まあ、もともとのせりふが「ヴァンデミエールの翼」のコスプレ(大きなボタンをつけた衣装は最後の回だけだったこと)をベースとしておりますので、「着てたっけ?」自体が無理のあるせりふではあるのですけどね。
さて、クドリャフカの順番に戻りましょう。
ハードカバー版と文庫版の最大の違いは本の題名でして、ハードカバー版が「クドリャフカの順番―十文字事件」であったのに対し、文庫版の題名は「クドリャフカの順番―Welcome to KANYA FESTA!」です。
この題名に付きまして、米澤氏はあとがきで次のように述べております。
本書の主役は、とりもなおさず文化祭そのものです。無形のイベントを主役とするにあたり、当然の手法として,私は多視点形式を持ち込みました。技術的側面のみならず、物語の側も多視点を要求しました。――でないと主人公が椅子に座りっぱなしでミステリーも何もあったものではないので。
そうして何とか小説を上梓したとき、はたと困ったのは題名です。祝祭の日の深夜に始まり、祝祭の終わりと共に終わるこの小説には、「文化祭」「学園祭」という以外の題名は全て似合わないような気がしたのです。「クドリャフカの順番」と命名しましたが、今回文庫化に当って附された英題の方が、おそらくはより内容を表しているように思います。
と、いうわけです。
さて、以下、ネタばれになりそうな部分がありますので、少々改行を入れておきます。
実はこの小説は傑作であると私は考えておりまして、同書をまだ読んでいない方は、これから下は読まれないほうが幸せになれるあろうと確信しております。
以下、大したことを書いているわけでもありません。同書未読の方には、以下を読まれないことを強くお勧めいたします。
まもなく改行が終わります。同書未読の方は、もう一度良く考えた上で、以下にお進みください。
さて、同書で大いに違和感を感じた部分は以下の部分(p370)の折木奉太郎のせりふす。
太郎と次郎がユニットを組んで「たじ」と命名するような、いささか安直な方法ですがね。
あんじょう、はるな。
くがやま、むねよし。
「あじむたくは」から、この二人を引いてみましょう。三人で組んだペンネームで六文字なんだから、一人二文字です。「あ」と「は」、「く」と「む」を抜くと、のこるのは「じ」、そして「た」です。
ね、おかしいでしょう。太郎と次郎がユニットを組んで命名する「たじ」と同じ二文字が残るのですね。
これが同じ文字の組み合わせであることに、まさか米澤氏が気付いていないはずはありません。そうなりますと、なぜこの同一の組み合わせをあえて提示したのか、という点が大いなる謎です。
濁点まで入れれば70音ほどある仮名から、2文字を取り出す組み合わせは5,000近くありまして、これが一致する確率は0.02%と、きわめて低いのですね。と、いうことは、米澤氏が意図的に一致する組み合わせを提示している可能性が高いように、私には思われます。
一つの可能性といたしまして、米澤氏は、恐るべき低確率の偶然の一致といえども、起こりえないわけではない、という具体例をここに示しているのかもしれません。
ミステリーというもの、確かに偶然に支配されて謎が形成されるケースは多々あるのですが、これが恐るべき低確率の偶然となりますと、いかにもご都合主義的な印象を受けてしまいます。
しかしながら、そういった偶然が起こりえる、という具体例をあらかじめ提示してあれば、今後の作品においてご都合主義的な低確率現象が生じた場合も、「ま、そういうこともあるのだよ」ということで話を先に進めることができます。そして、その具体例として上記引用部の奉太郎のせりふがあらかじめ準備されているのかもしれません。
そしてこれを使うには、田名部治郎先輩が登場しないと不自然ですから、米澤氏がひそかに計画している将来の古典部物語には、田名部氏が登場する話が準備されているのかもしれません。
ということになりますと、そのお話は、いったいどういう内容であるのか、という点が次なる謎になるわけです。しかし、これには大いにヒントが隠されているわけで、「クドリャフカの順番」の後編に当る「クドリャフカの復活」のようなストーリーがありえるように、同書を読む限りでは推察されるわけです。
まだ、スペースも少々あるようですから、ここではこの後編の筋書きにつきまして、簡単に私の推理を述べておくことといたしましょう。
まず、このストーリーで、消化不良状態で残っておりますのが、安城春奈が書きました「クドリャフカの順番」の原作です。これは傑作であり、田名部先輩はこれが世に出ないことを惜しがっております。また、摩耶花も次回作を読みたがっているのですね。
漫研のキャラクターも、このまま埋もれさせるには惜しい人たちであり、総務委員会と漫研、そしてもちろん古典部が絡み合うストーリーは、相当におもしろい作品になりそうです。なにぶん、福部里志は総務委員会にも所属しており、漫研はもちろん伊原摩耶花が所属するところ。絡み合いの余地は多分にあります。
安城春奈の原作「クドリャフカの順番」が、クリスティの「名作」の何を下敷きにしているか、という点が一つの謎となりますが、おそらくは「ABC殺人事件」ではなく、「そして誰もいなくなった」あたりを下敷きにしている可能性が濃厚です。でないと、今回の作品と同じような内容になってしまいます。
お話の発端は、学園祭の怪事件の真相を聞いた摩耶花が、陸山委員長に続編を書かせるべく、田名部先輩と共同作戦を開始する、というのが自然なところです。もちろん、福部里志は摩耶花に協力するでしょうし、何とか折木奉太郎の知恵を引き出そうとするのも、まずお約束といったところ。
これがかなり大変であることは、陸山にその気がないことから予想されることなのですが、まずは、委員長にその気にさせるための作戦を、古典部が総力を挙げて展開する、というのが序盤戦です。
これだけではミステリーになりませんので、田名部先輩の持つ原稿が盗まれるなどの、この作戦を妨害するような事件がいくつか起こるのでしょう。そして、千反田えるの「わたし、気になります」が出てまいりますこともお約束。
おそらくは安城春奈がストーリーの後半で登場し、何らかの重要な役割を果たしそうな予感もいたします。そして、最後はおそらく、この漫画が世に出るという結末になりますと、みんながハッピーとなります。
この絵を陸山委員長が描くのか、摩耶花が描くのかが難しいところなのですが、陸山委員長の指導により、摩耶花の作画技術が大いに上昇する、というようなお話がありますとなかなかよいお話になりそうです。いわゆる特訓、という奴ですね。そうして、陸山氏の技術に限りなく接近した摩耶花と田名部でこの作品を完成させる、というのがありそうなストーリーであると私は考えております。
まあ、可能性は無限にあり、どうなるかは実のところわかりはしないのですが、、、
このお話はその後アニメ化されているのですが、その中で、先の展開を暗示する会話がなされております。こちらでご紹介しましたが、果たして続編は作られるのでしょうか?