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鈴木敏夫著「仕事道楽」を読む

本日はアニメに関わるまじめな書物、鈴木敏夫著「仕事道楽―スタジオジブリの現場」を読むことといたしましょう。

アニメージュ事始め

スタジオジブリといいますと、もちろんその表看板は宮崎駿監督なのですが、この本の著者であります鈴木氏も、結構重要な役回りを演じられた方です。そういうわけでこの方は、ジブリの歴史をその中核部分で見つめてこられた方で、同書に紹介されておりますエピソードや、人物評が実におもしろい内容となっております。

鈴木氏は徳間書店に入社後アサヒ芸能の編集に長年携わり、とつぜん「アニメージュ」の創刊に引きずり出されます。

アニメージュという雑誌はなかなか豪華な雑誌でして、犬夜叉がテーマとなりましたときなど、私もほしいほしいと思ったのですが、あまりに豪華すぎる表紙に少々腰が引けて、手が出せないでおります。なにぶん、雑誌にはカバーなどしてもらうわけにはいきませんからね。

しかし最近の表紙は、腐女子向けでしょうか、あまり食指をそそられませんねえ、、、2007年のシャナの号は、なぜか表紙に見覚えがあるのですが、、、逡巡いたしました関係で、、、

高畑・宮崎両氏との出会い

さて、予定していた編集陣を全員首にして創刊3週間前に引きずり込まれましたアニメージュを、鈴木氏は、何とか軌道に乗せます。その最初の特集が「宇宙戦艦ヤマト」。で、アニメ指南役の女子高生(!)の推薦で「太陽の王子ホルスの大冒険」をつくっていた高畑勲氏、宮崎駿氏と接触することになります。

まずは高畑氏、鈴木氏の依頼に対して、延々1時間にわたって会えない理由を述べ立てるのですが、その言い草がよいですね。つまり、『宇宙戦艦ヤマト』のヒットに乗っかって、大衆向けの雑誌を作ることには協力できないという趣旨の返事であるわけですから。

わかるなあ、この感じ。なにせ、軍国主義的なヤマトと、アイヌ伝説に題材をとりました太陽の王子ホルスの大冒険ないし宮崎アニメ全般では、方向性が180度違いますからね。(ここでは後にジブリでアニメを作ることになります人々のアニメを「宮崎アニメ」と呼んでおくことといたします。)

しかし、高畑氏から話を振られました宮崎駿は、鈴木氏の予想に反して、「自分は『太陽の王子ホルス』にかんしてはしゃべりたいことが山のようにある。だから16頁よこせ」といいます。

ここで鈴木氏、高畑、宮崎の両氏と計1時間半にわたって話した結果、こんなことをしていてはとても雑誌に間に合わないと判断し、この時点では面会をあきらめ、「ルパン三世・カリオストロの城」の取材で始めて接触することになります。

と、同書の中ではさらりと書いているのですが、アニメージュにホルスはなかったのではないでしょうか。

もちろん、日本アニメの歴史ということを考えるとき、白蛇伝に始まる東映動画の歴史がその中心にあることは疑いもなく、西遊記の手塚治虫とホルスの宮崎・高畑コンビは外せないトピックスでしょう。プリキュアはともかくといたしましても、セーラームーンも外せません。

しかし、アニメージュというビジュアル系の雑誌には、ホルスは似合いません。とはいえ、鈴木氏にホルスを紹介いたしましたこの女子高生、タダモノではありませんね。さすがに、アニメージュの編集責任者にアニメを指南しようというだけのことはあります。

ルパンⅢカリオストロの城

さて、ルパンIII カリオストロの城ですが、このアニメは最近デジタル化され、テレビ放映もされておりますのでおなじみの方も多いかと思います。なにぶん、ルパンIIIは、わたしが長年手がけました(株を、ですけど)トムスエンタテインメントの制作になるものでして、わたしにも思い入れの深い作品ではあります。

同書によりますと、アニメでの動きの表現は左右の動きが一般的なのですが、宮崎駿は前後の動きにこだわります。同書に絵コンテがありますルパンIII(上のリンクの最初の10分にあります)で、ルパンの車が手榴弾を食らうシーンは、確かに向こうからこちらに来るシーンがたくさん出てまいります。

鈴木氏は、招かれざる客としてカリオストロの城の製作現場に詰め、やっと、宮崎氏らと心を通わすようになります。

次いで高畑氏が「じゃりン子チエ」なる長編アニメを制作すると聞きつけて鈴木氏はテレコムという会社にすっ飛んでいきます。テレコム、、、聞き覚えのある会社ですね。なんと、トムスエンタテインメントの子会社になっております。

ふうむ、トムスは宮崎駿、高畑勲という逸材と付き合いながら、何故に彼らと別れることになってしまったのでしょうね。もしも彼らとうまく付き合っておれば、あのスタジオジブリのすばらしい作品群はみなトムスが手がけることになったはずなのに、、、まったくアニメのわからないアニメ会社の経営陣には腹が立ってまいります。

意気投合

本に戻ります。高畑氏の話は長いのですね。同書によりますと、以下のようになります。

最初の出会いだったにもかかわらず、結局、なんと3時間以上しゃべってしまうことになりました。気が付いたら、『じゃりン子チエ』をどう作るかなどという、内容の話をしている。ぼくも生意気盛りでしたから、「なんで『アルプスの少女ハイジ』みたいな名作を作ってきた高畑さんが、大阪のドヤ街のホルモン焼き屋の娘を描くのか。あなたの作品の中で一貫性がないじゃないか」などと言い、高畑さんは「ぼくの中には一貫性があるんだ、なに言っているんだ、あなたは何を見てそう言うんだ」と怒り出す。そんな調子だったんです。

ここはしかし、高畑氏に一理ありますね。なにぶん、チエとハイジは、おかれた環境こそまったく異なりますが、そのキャラクターは同じ、逆境の中を健気(けなげ)に生きる少女の姿を描いたものですから。

しかしこの本、ご紹介が大変ですね。200ページ少々ある本のご紹介が、まだ、25ページまでしか進んでおりません。しかもこれを書いている途中で、いろいろなリンクを貼り付けますと、結局その内容を全部みてしまうことになります。

それはともかくといたしまして、宮崎駿、高畑勲の両氏に感銘を受けた鈴木氏は、彼らの話す内容を克明にメモにとり、彼らの読む本を読みます。そして、彼の勤める徳間書店に薦めて、あの名作、風の谷のナウシカ(現物へのリンクは以前のブログに貼ってあります)の制作に首を突っ込むことになります。

風の谷のナウシカ

ナウシカ制作の裏話がまた奮っております。

まず、鈴木氏の最初のアニメ映画制作の企画が、原作のない映画は作れないとの理由で没になりましたことから、「じゃあ、原作を描いちゃいましょうか」。それで『アニメージュ』で『風の谷のナウシカ』の連載がはじまります。宮崎駿氏は原作漫画も漫画としての完成度を要求し、その結果、漫画そのものが評判になったりいたします。そして話はアニメ制作へと進んでまいります。

宮さんはみんなの熱意に押されたかたちで、最初はそれほど乗り気でなかったのがだんだんとやる気になってきた。いよいよ映画化の話が本決まりというとき、条件があると言う。「条件はただひとつ」とぽつんと言ったんですね。「なんですか?」と聞いたら、「高畑勲にプロデューサーをやってもらいたい」。

ところが高畑氏は自分がプロデューサーに向かない理由を延々と説明します。彼は、大学ノート一冊にわたってプロデューサについての分析を行います。

それで「鈴木さん、この大学ノートが一冊終わっちゃったんですよ」。見せてくれたからパラパラめくる。そうしたら、ノートの最後の一行が「だから、ぼくはプロデューサーには向いていない」。二週間もつきあったんですよ、ぼくももういいかげん嫌になってしまう。

鈴木氏はこれを宮崎駿に伝えます。彼は、酒の飲めない鈴木氏を飲み屋に誘い、日本酒をがぶ飲みした挙句涙をぽろぽろと流し始めます。これで宮崎氏の心情を察知した鈴木氏は、その足で高畑氏の元に向かい、声を荒げてプロデューサーを引き受けるよう説得いたします。

ぼくが高畑さんの前で大きい声を出したのは生涯一回、そのときだけです(たぶん)。もう理屈じゃないです。そうしたら高畑さん、「はあ、すいません。わかりました」。これでやってくれることになった。

すごいですねえ。理論の高畑勲に情熱の宮崎駿、そして常識の鈴木敏夫というゴールデンコンビがそこにはあるのですね。これはしかし、この話自体がドラマになりそうな感じがいたします。

プロデューサー高畑勲

初めてプロデューサーを引き受けた高畑氏ですが、意外にもプロデューサーとしての高い能力を発揮いたします。

あとで、高畑さんに聞いたことがあります。「プロデューサーでいちばん大事なことは何ですか?」。高畑さんの答えは明快でした。「それは簡単です。監督の味方になることです」。

さて、ここまでご紹介して、200ページ少々の本の45ページの紹介までしか終わっておりません。ここは、鈴木氏がいつも取り上げると語っておりますナウシカ制作の際の二つのエピソードをご紹介して、ナウシカの話題にけりをつけておくことといたしましょう。

第一のエピソードは、締め切りに間に合わないという状況に陥ったときのことです。

それで、彼(宮崎駿氏)が高畑さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。

進行に責任を持つプロデューサは高畑さんです。宮さんはプロデューサの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います?

「間に合わないものはしょうがない」

すごいですねえ。何とか期限に間に合わそうという情熱家の宮崎駿氏に対して、現実を理論で割り切る高畑勲氏、これを傍観して感動している常識人の鈴木敏夫氏、キャラが立っているというのはこういうのを言うのではなかろうか、などと失礼にも思ってしまうシーンではあります。

第二のエピソードは映画の終わらせ方。オームの前にナウシカが降り立ったところで終わりとするとの原作に対し、これでは娯楽映画としては問題があると、高畑勲氏が鈴木氏に延々8時間にわたって議論を吹っかけます。そうしてできたのが、あの死と復活の物語であったわけですね。

ナウシカを「死と復活の物語」とみなす人は多いのですが、この見方は、どうやらこのアニメの本質を外しているように思われます。

やぶにらみの暴君(王と鳥)

宮崎駿のアニメに大きな影響を与えましたのが「やぶにらみの暴君」である、ということが同書に何箇所か書かれております。こんなことを書かれますと、この作品、いったいどんなものであるのか、気にになりますよね。

実は、その予告編は、スタジオジブリ自身がYouTubeにアップしております。それも、「ルパンIII・カリオストロの城」に影響を与えた部分をピックアップして紹介しているようにみえます。

スタジオジブリがこのビデオクリップをYouTubeにアップロードしておりますその理由ははっきりとはわかりませんが、文化というものが、過去の人々の成果を継承しつつ、新たな価値を追加して発展する以上、過去の人々の作り出した価値を尊重することは重要です。

ジブリは自らの仕事を誇ると同時に、これに大きな影響を与えました「やぶにらみの暴君(現在は『王と鳥』に改題)」の価値を認めているということでしょう。学術論文であれば引用文献を示すのが、これに相当するようにも思えるのですね。この姿勢、たいしたものではあります。

さて、このアニメ、一部をみてしまいますと全体がどんなものであるのかが気になります。幸い、YouTubeには英語字幕入りのバージョンで全編が公開されております。セリフはオリジナルのフランス語ですが、アニメですので、絵をみているだけでも大筋は追えるでしょう。

リンクは右のとおりです。part 1part 2part 3part 4part 5part 6part 7part 8part 9

しかしこの作品、CGを髣髴させます3D表現が随所にみられますね。もちろん、この作品が制作されました1952年にCGなどというものがあろうはずもなく、すべて手書きで制作されているに違いありません。こういう表現をしようと思いますと、大量のセルを描く必要がありまして作業量が増加するのですが、よくやりますね。

日本の伝統的二次元表現

このような3次元的表現は、日本アニメを見慣れておりますと、多少の違和感を感じます。日本アニメは、王朝絵巻(たとえば源氏物語絵巻)から浮世絵に至る日本の伝統にしたがい、一定の様式の元に3次元を2次元に移す表現を応用しております。

この一定の様式といいますものは、一言であらわすのは難しいのですが、輪郭線の使用、陰影のない均質な塗り色、無限遠からの視点などはすべてに共通した特徴で、「キュビズム(立体派)」とは正反対の「プラニズム(平面派)」などと呼んでしかるべき流儀であるようにも、私には思えます。

これに対して、海外の絵画は3次元の対象物をいかに忠実に2次元に落とすかという点に主眼があり、陰影を正しく表現し、視角の変化に忠実に対応したものが多いように思えます。

表現というものは、もとより何らかの抽象化がなされるものであり、日本の絵画・アニメ表現は、単にリアリティに欠けるという欠点とみなすよりも、そこにみられる高度な抽象化を積極的に評価すべきであるようにわたしには思えるのですね。

スタジオ・ジブリの設立

ちょっと寄り道が長くなってしまいましたが、同書のご紹介に戻ることといたしましょう。

前回のご紹介の反省を踏まえ、本日はあまりこまごまとしたことには立ち入らず、概観的に同書をみていくことといたしましょう。

まずは、カリオストロまでの宮崎アニメはトムスエンタテインメントで制作していたのですが、宮崎駿と高畑勲の両氏を、鈴木氏が徳間書店側に引っ張り込み、徳間主導でスタジオ・ジブリを設立するに至ったのはなぜか、という問題です。

経営的にはこれが大問題であり、この逸材の移動が経営に与えました効果を考えますと、トムスにとりましては大いなる損失であった一方、徳間書店にとりましては大ヒットであったといえるでしょう。

同書から読み取れます結論を述べてしまいますと、徳間書店にこれが可能であったのは、企業人の一員としての常識をわきまえた鈴木氏が、一方では、宮崎、高畑両氏の信頼を勝ち得たという点に尽きるのであって、企業人としては少々外れたところもある鈴木氏に対して、徳間書店の尾形編集長、徳間康快社長が理解を示し、良い形の指導を行ったこともこれを支える結果となりました。

トムス側の事情はよくはわからないのですが、結局のところ、このような強力なサポート体制がなかったであろうことは、結果が示しております。せっかく東映動画から逸材を獲得したトムスですが、とんびに油揚げをさらわれた形となっております。

アニメ経営の勘所

同書には鈴木氏自らの手になります書やイラストがいくつか掲載されております。これをみますと、鈴木氏自身、これで商売できる程度の作画の技量をお持ちのようにみられます。企業経営において、経営者自らが事業の主要部分で必要とされる一定の技量をもつということは非常に重要なことなのであって、これができるから現場の信頼も勝ち得ることができるし、抜けのない経営判断もできるというものです。

もうひとつは、「付き合う以上は教養を共にする」という姿勢であり、鈴木氏は宮崎、高畑氏の言葉に耳を傾け、両氏が読む書物をことごとく読破いたします。アニメは単なる絵ではなく、その背景にありますつくり手の思想が表現されたものです。この部分も、鈴木氏はきちんとフォローしているのですね。

もちろん、企業経営におきまして、何から何までこんなことをする必要はありません。しかし、この両氏こそ、アニメ制作事業におけるコアコンピタンスなのであって、経営に携わるものとしては、この部分だけはきちんと押さえておかなくてはなりません。

謎解きはしない

さて、鈴木氏を持ち上げるだけでもなんですので、ここらで少し、同書にけちを付けておきましょう。

まず、同書95頁の以下の記述について考えてみましょう。

映画の作り方で、宮さんのすごさを感じさせることのひとつに、謎解きをしないことがあります。たとえば『もののけ姫』の冒頭。大イノシシが突進してきたとき、村人が「あッ、タタリ神だ」と叫ぶ。どうしてわかるんですか? タタリ神になってしまう経過はあとに明かされるんですよ。このときにはわかるはずがない。それなのに、村人が勝手にタタリ神と定義づけてしまう。

このあたりは鈴木氏の常識人たるゆえんを如実に現しているところでしょう。つまり、言葉には普遍的な定義があり、これに従って正しく使用されるはずである、という思い込みがそこにはあるのですね。

たとえば、UFOなどという言葉は「未確認飛行物体」という意味なのですが、なんだかわからないものにそういう言葉を割り当てているわけでして、後にそれがアンタレス星雲から飛来した宇宙人の乗り物であることが判明するとしても、現在それをUFOと呼ぶことになんら不思議はないのですね。

なんだかよくわからないけれど、恐ろしく力がありそうで、これに付き合っているとろくなことにはなりそうもない存在を「タタリ神」と呼ぶことは、なんら違和感を感じさせないセリフではあります。

職業人としてのアニメータ

もう一つ、これは良いことである反面、問題がありそうな部分です。

ぼくは毎年、新入社員に同じことを言っています。「ジブリに就職してそこでよかったなどという考えの人はいらない。ひとりの職業人になりなさい」。アニメーターならアニメーターで、どこへ行っても役に立つだけのものをここで培ってほしい、と言う。つまり個人名でやる仕事なんですよ。組織に埋没する会社員じゃなくて、一人前の職業人になると思わないとつらいんです。もっとも「会社は必要がなくなればつぶしていい」と言いまわっている人間として、彼らの人生・生活まで背負い込みたくないから、責任逃れでもありますが(笑)。

前半の部分はまったくそのとおりであると私も思います。著者のいいたいことは、アニメーターには、独自の技術が必要であり、腕におぼえのある人がジブリには集まるのでしょうが、さらにジブリで自らの技術を高めてほしいということでしょう。

これは、アニメーターに限られた話でもなく、専門的職業人には普遍的に言えることであると思います。そして、ある会社に所属することで満足することなく、自らの力を高め、どんな環境下でも自らの力が発揮できるような人間にならなければならない、とわたしは常々思っております。

社員を管理するサイドからは、社員を他社では通用しない人間に仕立て上げることが、人事管理を容易にいたします。しかしそれでは、社員を実力のない職業人にしてしまうこととなり、会社全体の力が殺がれてしまいます。ジブリのこの考え方は、強い会社を作るうえでは必須のことであろう、とわたしも思います。

リスク管理は万全か

しかし、後半はいけません。会社というものは、ひとたび設立してしまった以上は、あくまで存続することが要求されます。

アニメ作品を作る立場からは、一作一作が勝負であるのは当然であり、それぞれの作品に全力をかけて、ヒットすべくしてヒットする作品を作り出すのはあたりまえの考え方です。

しかしながら、長い間ビジネスを継続しておれば、予想外の出来事が起こることは避けることができません。完成間近の原版が火事で焼けてしまうとか、原作が盗作だと判明して公開できなくなるとか、さまざまなリスクがありえるのですね。

このようなリスクが示現しても企業は存続できるよう、あらかじめ手を打っておかなければなりません。保険やリスク分散などのリスクマネージメントや、事業を多角化すること、財務基盤を強化するなど、同書には触れられていないさまざまな対処がありえると、わたしなどには思われてしまいます。

おそらくは、実際にはそういった対処も、単に同書に書かれていないだけで、きちんと行われてはいるのでしょうが、会社の存続にあまりにも無関心な書き方をされますと、少々心配になってしまいます。

そんな心配を和らげる記述を同書188頁からご紹介しておきましょう。

そして2008年2月、ジブリにとって、そしてぼくにとって朗報がありました。前ウォルト・ディズニー・ジャパン会長の星野康二さんがジブリ社長を引き受けてくれることになったんです(2月1日就任)。……

これで、ぼくは映画のプロデュースに専念し、経営は星野さんがみるという体制ができたわけです。

これは理想的な形といえるでしょう。おそらく、星野氏は財務基盤をきちんと固めて、リスクマネージメントもできる人であろうと、彼の経歴からわたしは推測いたします。つまるところ、この先のジブリにはまだまだ期待しても良さそうであり、日本アニメをこよなく愛するものの一人として、たいへんに安堵いたしました次第です。