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我が国のエネルギー戦略について

このブログでは何度か原発事故に関するアゴラの記事を批判してまいりましたが、さすがに最近の記事ではでたらめな記述は少なくなっております。ただ、書かれていることが少々おかしなことには変わりありませんので、改めて問題点を指摘し、あわせて今後の我が国のエネルギー政策がいかにあるべきかについて考察を加えたいと思います。

問題の記事は、支離滅裂な「革新的エネルギー・環境戦略」と題します池田信夫氏の記事です。

まず、私は決して民主党の主張に賛成するものではないことをあらかじめお断りしておきます。池田氏の批判する民主党のエネルギー政策が支離滅裂であることは、私も全く同意いたしますし、民主党が我が国のエネルギー政策をどのように持っていきたいのか、私には全く理解できません。

私が民主党の政策に関して批判しない理由は、単に批判するに値しないからであって、そういう意味では池田氏の主張の方がはるかにまともであるともいえるのですが、既に死に体の民主党政権が何を言おうが、現実的効果のほとんどない、毒にも薬にもならない主張である一方で、池田氏の主張は一つ間違えれば次期(自民党?)政権に影響を与える可能性もあり、その誤りは押さえておく必要があると考えております。

で、池田氏の前記記事の問題ですが、まず「政府の間違った避難指示」につきましてはあまり深入りすることはやめておきます。この主張を池田氏は繰り返し行っておられるのですが、少なくとも過去の記事をみる限りでは、健康に被害を与えない累積被ばく線量である100mSvと、被災地の年間被ばく線量(100mSv/年)とを混同されており、さらに福島第一原発周辺の線量についても事故直後の12日間の累積線量を年間線量と誤認されております(少なくとも、これらの誤りに対する訂正はこれまでのところ行われておりません)。これでは、福島の事故が大したことではないと思われるのも当然で、過剰な避難が行われていると思い込むのもあたり前なのですが、これは明らかに池田氏の誤認です。

問題は、「(原発事故の確率を)IAEA基準で10万炉年に1度とすると、kWhあたりのコストは軽微である」なる記述ですが、我が国の原発は1000年に一度の津波を想定外としておりました。これでは、原発事故が1000年に1度あっても不思議はなく、IAEA基準の実に100倍という高い事故確率になります。実績としての事故の確率もその程度のオーダー(保険料は700年に1度の事故を前提)ですし、1000年に一度の津波が18か所の原発立地のいずれかを襲う頻度はおよそ55年に1回と計算され、福島の原発事故は確率的にはごく普通の出来事であったと言えます。

原子炉本体の事故確率が1000万年に一度であると、電力会社は原発の安全性をアピールする際に何度も語っております。それによれば、原発に10基の原子炉を設置しても100万年に一度の事故確率である、というわけです。原発事故の原因として、原子炉本体の問題の他に、操作ミスやテロなどの犯罪そして自然災害などの要因あり得ることから、IAEA基準の10万年に1度という事故確率は妥当な見積もりと考えられます。

一方で、我が国では1000年に一度の津波を無視してしまいました。これこそが我が国の原発行政の最大の失敗なのであって、今後の政策を考える際にも、この間違いを認めて正しい状態に戻すことを出発点としなくてはいけません。

1000年に一度の津波によって事故が起こった、だから堤防をかさ上げして1000年に一度の津波には耐えられるようにしよう、などということは何ら本質的な対策ではありません。いったいそれで、何年に一度の津波に耐えられるというのでしょうか。最低でも10万年に1度の津波に耐えられること、他の要因まで考えれば100万年に一度の津波に耐えうる設計としない限り、原発の安全性を確保したことにはなりません。

地震のエネルギーと発生頻度の関係を近似する法則として冪乗則が知られております。10万年に一度の津波のエネルギーは1000年に一度の津波のエネルギーのおよそ100倍と見積もられます。波のエネルギーは波高の二乗に比例しますので、10万年に一度の津波の際の波の高さは100の平方根、すなわち千年に一度の津波の10倍に達するものと見積もられます。この計算に従えば、堤防の高さを2倍にしたくらいでは、1000年に一度が4000年に一度になる程度であり、10万年に1度などというレベルには到底及ばないことがわかります。現在行われているような対策は、意味のある対策であるとはいえず、当座を取り繕うための方便であると考えるべきでしょう。

技術的に正しい議論をすれば、安全性を確保するためには現在我が国にある(海沿いに立地する)原発は全て廃炉せざるを得ない、との結論が出る可能性が高いと私は考えております。しかしながら、短期的には電力不足の問題があり、これといかに折り合いをつけるかが現実的な問題となります。

事故の確率を減らすためには、個々の原発の事故確率を減らす以外の対処もとり得ます。最も簡単には、原発の総数を減らすこと。現在18立地ある原発を2立地に減らせば、それだけでいずれかの原発で事故が起こる確率は1桁減少します。電力不足の問題は、数基の原発を再稼働すれば解決するわけですから、2か所か3個所に限定して原発の再稼働を認めることで当面の問題には対処できます。再稼働させる原発には、地震や津波に対して安全性の高いものを選び、追加の安全対策も適切に行えば、一基あたりの事故確率が10万年に一度の原発を18の立地で運転したのと同程度の安全性を確保することも可能でしょう。

この場合、その他の原発は可及的早急に廃炉にすることが要請されます。使用可能な原発を廃炉にすることは、電力会社には大きな損失を与えることになるのですが、原発を推進したのが政府の方針であったとしても、電力会社も積極的にこれにかかわったわけですからその経営責任は免れません。これによる損失を電力会社が被ることは致し方なく、そのために企業の存続が危ぶまれた場合には政府が救済措置を講じるのが現実的な対応でしょう。

さて、短期的には稼働させる原発を2~3立地程度に削減し、他の原発を全て廃炉にすることで当面の原発事故に対するリスクを許容可能なレベルに下げることができます。では、長期的にはどうするか、となりますと、池田氏の見解も少々不透明です。池田氏は「原発の安全基準は厳格化される一方なので資本コストが高く、天然ガスの価格が下がっている今日では採算が合わない」と書かれておりますし、他の記事を読みましての、中長期的には脱原発もやむなし、と考えておられるように見受けられます。

しかしながら、中長期的な観点からは、化石燃料の枯渇(およびそれに伴う価格の高騰)という問題も意識する必要があります。もちろん、化石燃料を自然エネルギーが代替する可能性もゼロではありません。社会的要請があれば、そしてそれに伴う経済的なインセンティブがあれば、技術は急速に進歩し、自然エネルギーのコストは急速に低下するでしょう。しかしこれには不確実性が伴い、我が国の未来をこのような不確実な可能性に賭けるのは妥当とはいえません。

となれば、核エネルギーという可能性も、現時点での経済性はともかくとして、一つのオプションとして温存しておく必要があります。また、原発ゼロを目指す場合、使用済みの核燃料をどうするかという問題があり、全てを埋設処理した場合には処理量が増えてしまうという問題もあります。廃棄物を削減するという観点からも、使用済み燃料の再処理とプルトニウムの再利用も継続する必要があるでしょう。

このための原子炉は、津波のリスクを考えれば、今日の原発のように海沿いに設置することは許されないでしょう。北海道や、四国、九州などの人里離れた内陸部に冷水塔を備えた原発を2~3個所設置する、というのがおそらくは長期的な姿となるでしょう。この場所には、再処理施設や埋設処理施設もあわせて設け、一連の処理を全てこの場所で行うのが理想的です。この取り組みは、民間レベルでは経済的に成り立たちませんので、政府の責任の元に推進する必要があります。そうして技術を蓄積しておけば、化石燃料が枯渇し、自然エネルギーの利用も経済的ではないという結論が得られた際にも、スムーズに原発依存へと回帰することが可能となります。

政治家は、本来はこのようなことをきちんと考えるべきであると私は思うのですが、現実に彼らが考えていることは数カ月先の選挙でしかなく、我が国のエネルギー政策など実質的には存在しないのが実情です。全く嘆かわしい限りではありますが、かといって、財界や電力会社の近視眼的主張を受け入れることも我が国の将来に大きな禍根を残す結果となりそうで、何とも困った状況にあるというのが現実であるように私には思われます。