グーグル秘録という分厚い書物が最近出ております。これはグーグルの成長過程を詳しく述べた書物でして、その内容は興味深いものがあるのですが、登場人物の一人でありますインドの技術者の名前が「クリシュナ」。どこかで聞いたことがある名前、ということで思い浮かべましたのがMy sweet loadです(歌詞と解説はこちら)。
このビデオクリップで、ジョージハリスンの横におられます女性は婚約者でしょうか。なんか、マクロスフロンティアのシェリル・ノームを髣髴させる姿形です。ひょっとするとシェリルのモデルはこの方だったのでしょうか。
クリシュナはヒンドゥー教の神の一人で、かなり重要なポジションを占める方です。ビートルズは一時インド思想に傾倒しており、ビートルズ解散後にこの歌でヒットを飛ばしましたジョージ・ハリスンもインド思想に惹かれていたのでしょう。
ヒンドゥー教の教義で重要な位置を占めておりますのが輪廻の思想と梵我一如。後者につきましては以前もこのブログで簡単に触れましたので今回は置いておくといたしまして、問題は輪廻の思想です。
輪廻という考え方は、人は死で終わるのではなく(解脱に至らない限りは)永遠に生と死を繰り返し、現世での行い(業:カルマ)によって人に生まれ変わったり動物に生まれ変わったりするという理解が一般的かと思います。しかし、オットー・シュトラウスの「インド哲学」によりますと、もともとの輪廻の意味は全地球規模での物質循環であり、その中に人間の体も含まれているという、今日の科学でもきわめて納得のいく考え方です。
インド哲学の元々の姿は、今日的にも妥当なものでありながら、各宗派の教義となりますと少々納得のいかない姿になる。これが少々問題でして、シュレディンガーの向かいましたヴェーダンタにしても、ジョージ・ハリスンの向かいましたヒンドゥーにいたしましても、教団経営の都合の良い形に、本来のインド哲学に脚色が施されているように私には思われます。
オットー・シュトラウスの「インド哲学」の傑作な記述は、「大罪」とされる行為です。十戒の「汝殺すなかれ」に対応するインドの大罪は「僧侶を殺すこと」、「汝犯すなかれ」に対応するのが「師匠の妻を犯すこと」。どうも教団側のご都合主義が大罪に表れているような印象を受けます。まあ、弟子たちにそういう戒律を強制したい気持ちもわからないではないのですが、こんなことではその他の教義も教団に都合の良いように脚色しているのではないかとの疑いを免れません。
というわけで、本来のインド哲学はきわめて高いレベルにあったと私は考えているのですが、今日のインドの教団の教義をそのまま受け入れるのはちょっと待った方がよい、インド哲学本来の思想を追求するのが良いのではなかろうか、というのが私の思いであるわけです。
まあ、教団の言うことを聞き入れるのが一番簡単な生き方ではあるのですが、多分それでは教団にいいように利用されて終わってしまうのではなかろうか、と余計な危惧をしている次第です。
もちろん、脚色があったところで、元々のインド哲学の片鱗が今日のインド宗教の中に現れているであろうことは否定すべくもありません。そこに多くのアーティストや先進的な科学者が惹かれるのではあるのでしょう。それに、宗教などというものは、本人が幸せならそれで十分なのであって、他人がとやかく言うようなものでもないことは重々承知しているのですが、、、