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オーウェル「葉蘭を窓辺に飾れ」を読む

本日は、ジョージ・オーウェルの「葉蘭を窓辺に飾れ」を読むことといたしましょう。

同書に対する評価

この書物に関しましては、ワーキングプアを描いた今日的書物であるといった肯定的評価がある一方で、女性心理の書き方が下手だとか、ラヴェルストンの献身的友情は大時代的であるといった、マイナス評価も多々あります。同書を通読いたしますと、これらの評は少々外した評であるように、私には思われました。

また、主人公でありますゴードンが最初(を過ぎてすぐ)から最後(のちょっと手前)まで、始終金のないことで傷つき、始終むかつき怒りっぱなしで、これに感情移入などいたしますと大変にくたびれる書物であるともいえるでしょう。歯科医院の椅子に座っているような書物だとの評は、まことに的を射たものであるようにも思われます。

まあ、そんなお話をいたしましても、わかっていただくのは難しいと思いますので、早速同書を読んでいくことといたしましょう。

葉蘭の意味

まず、本書の表題にもあります「葉蘭」の意味が、同書53ページで明らかにされます。

子供特有の理解度ではあったが、彼にも金というものの実態が分かりかけてきた。普通の人たちよりも早い時期から、現代の商売とはペテンに他ならない、ということに気付き始めたのであった。妙な話だが、地下鉄の広告に教えられたのである。 伝記作家がよく書く台詞だが、彼自身が後年になって、広告会社で働くことになろうとは、夢にも考えてはいなかった。だが商売とは、ペテンそのものでしかなかった。彼が理解し、時と共にさらに理解度を深めたのは、金銭崇拝思想が信仰の域にまで達してしまったということだった。実感としてもそう思っていたし、この思いは時が経つにつれ、ますます深まって来た。多分金だけが我々に残された唯一の信じられるもの――唯一本物と考えられるものであろう。金が神の座に座ってしまっていた。善だの悪だのと言っても、もうそんなものは意味なしになり、成功と失敗だけが意味を持つようになって来ていた。となると、「うまくやる」ということが大きな意味を持って来る。十戒などもう必要ない、二戒で充分になった。一つは雇う側――選ばれしもの、つまり拝金主義者――用の戒めで「汝、金を儲けるべし」であり、もう一つは雇われる側――奴隷、下働き――に対するもの、「汝、職を捨つること勿れ」である。ゴードンが『ボロズボンの慈善家』という本と出会ったのものこの頃、何もかも質入れしてしまう癖に葉蘭だけは手放さない、飢えた大工の話だった。それ以後、葉蘭はゴードンにとって、ある種の象徴となってしまった。イングランドの象徴、葉蘭だ! 獅子と一角獣の代わりに、葉蘭が紋章になって来るはずだ。窓辺に葉蘭のある限り、イングランドに革命など起こりゃしないんだ。

この部分、英語版kindle版もあります)では以下の通りです。

In a crude, boyish way, he had begun to get the hang of this money-business. At an earlier age than most people he grasped that all modern commerce is a swindle. Curiously enough, it was the advertisements in the Underground stations that first brought it home to him. He little knew, as the biographers say, that he himself would one day have a job in an advertising firm. But there was more to it than the mere fact that business is a swindle. What he realised, and more clearly as time went on, was that money-worship has been elevated into a religion. Perhaps it is the only real religion -- the only really felt religion -- that is left to us. Money is what God used to be. Good and evil have no meaning any longer except failure and success. Hence the profoundly significant phrase, to make good. The Decalogue has been reduced to two commandments. One for the employers -- the elect, the money-priest-hood as it were -- "Thou shalt make money"; the other for the employed -- the slaves and underlings -- "Thou shalt not lose thy job." It was about this time that he come across The Ragged Trousered Philanthropists and read about the starving carpenter who pawns everything but sticks to his aspidistra. The aspidistra, flower or England! It ought to be on our coat of arms instead of the lion and the unicorn. There will be no revolution in England while there are aspidistras in the windows.

ゴードンは、拝金主義の横行に反発する一方で、イギリス社会が拝金主義に飲み込まれていることを認めます。「葉蘭」は、そんな社会の中で小市民が判で押したように窓辺に飾る植物であったのですね。なにぶん、葉蘭は植物の中では手間のかからない、安直な観葉植物なのですから。

ゴードンは、売れない詩を書きながら、少ない俸給で本屋で働きます。しかし、彼にはもっと稼げた時代もあったのですね。でも、上の引用部にもありますように、拝金主義に反発し、「ペテン」のような仕事はできないと、これらの有利な仕事を辞めてしまう。ゴードンは、ワーキングプアというよりは、おのれの思想に忠実に生きた人であるといったほうが実際により近いでしょう。

おいしい仕事

で、その有利な仕事に関わる描写が少々面白い。66ページ以下を少し引用いたしましょう。

その当時スタッフが取り組んでいたのは、「四月の滴(しずく)」の雑誌広告の文案だった。 これは「シバの女王化粧品」(大変面白いことに、フラックスマンの会社だった)が売り出し中の最新防腐剤だった。ゴードンは内心では「厭だな」と思いつつも、その仕事に取り組んだ。だが結果は思いのほか旨く行ってしまった。ゴードンは初っ端から、コピー・ライティングに素晴らしい才能を発揮した。コピー・ライターになるべくして生まれてきた人間みたいに、美事な文案を作った。人の心を擽り、人の心に滲み込むような素晴らしい文案、虚構の世界を百語でぴったりと書き込んだ美事な文案だった――巧まずして、こういった文章が湧き出して来るのだった。言葉に対する感性はこれまでも持っていたのだが、今回初めて、才能を生かすことが出来たのである。クルー氏は、この男、大化けするかもしれないなと思った。ゴードンはその好結果に最初は驚き、それから面白がり、最後は怖くなってしまった。というと、自分が目指してきたのはキャッチ・フレーズを作るということだったのか! 馬鹿どもの財布の紐を緩めさせる嘘っぱちを書くことなのか! 作家になりたいと思っていた自分が、防腐剤の宣伝文句を書いて今までにない効果を上げることになろうとは、何とも皮肉な話だった。だが彼が思っていたほどに不思議な話ではなかったのだ。コピー・ライターの大半は小説家崩れだという話だった。言ってみれば、コピー・ライター崩れが小説家になるのかもしれない

英語版では以下の通りです。

At that time they were working on a line of magazine ads for April Dew, the great new deodorant which the Queen of Sheba Toilet Requisites Co. (this was Flaxman’s firm, curiously enough) were putting on the market. Gordon started on the job with secret loathing. But now there was a quite unexpected development. It was that Gordon showed, almost form the start, a remarkable talent for copywriting. He could compose an ad as though he had been born to it. The vivid phrase that sticks and rankles, the neat little para. that packs a world of line into a hundred words – they came to him almost unsought. He had always had a gift for words, but this was the first time that had used it successfully. Mr. Clew thought him very promising. Gordon watched his own development, first with surprise, then with amusement, and finally with a kind of horror. This, then was what he was coming to! Writing lies to tickle the money out of fools’pockets! There was a beastly irony, too, in the fact that he, who wanted to be a “writer,” should score his sole success in writing ads for deodorants. However, that was less unusual than he imagined. Most copywriters, they say, are novelists manqués; or is it the other way about?

太字は私によります、ちょっとオーウェルの筆が滑ったような印象を受ける部分ではあります。面白い文章がひらめいてつい書いてしまったのかもしれません。でもそれが面白いこと、読者にとっても同じではあります。(コピー・ライター崩れの小説家、我が国にもいないわけではないような気がしないわけでもありません。)

2018.4.6追記:それにしても「deodorant」を「防腐剤」と訳すのはいただけません。「デオドラント」でも意味が通りますし、あえて日本語にするなら「制汗剤」あたりが適当ではないでしょうか。

オーウェルの思い

ゴードンは拝金主義に背を向け、社会主義を理想といたします。落ちぶれつつあるといいましてもちゃんとした家柄の一族でありましたゴードンがかかる思想をもつにいたります理由は、おそらく、ノブレス・オブリージュのなせる業。人の上に立つものは、善をなすべき義務がある、そう考えれば拝金主義の横行に背を向けることもわからなくはない。そして、毅然として善をなす者にたいして、女性が心を寄せたり、一定の資産のある友人が献身的に援助しようとすることも、わからなくはありません。

もちろん、オーウェルは自らの分身としてゴードンを書いているはずで、オーウェルがイギリス社会に背を向ける理由はもっと深刻でした。彼は、インドでアヘンを扱う高等文官を父として生まれ、イギリスの植民地であったビルマで警察勤務して植民地支配の片棒を担ぎ、英国の悪行をさんざん目にしてまいりました。ノブレス・オブリージュをわきまえた人間であれば、これに反旗を翻すのも当然であるといえるでしょう。小説上のゴードンが拝金主義に背を向ける動機が少々弱い感じがするといえども、オーウェルの思いを考えれば主人公にかかる振る舞いをさせることも無理はなかろう、と私などは考えてしまいます。

葉蘭を飾る

さて、この書物、以上ご紹介してきたのですが、実際に読まれる方はごく少数であると思います。話の行方が気になる方のために、この先の筋を書いておきましょう。

ゴードン、金がないとのコンプレックスから大荒れし、女性たちにも友人にも大いに迷惑をかけるのですが、恋人を妊娠させてしまい、結婚するということに。こうなりますと、金がないでは済まされませんので、コピー・ライターに戻るのですね。

おちは、ゴードンが葉蘭を飾ると言い張り、これに反対する恋人の言うことを聞かない。『ボロズボンの慈善家』に出てまいります飢えた大工を彷彿させはするのですが、あまり受けそうもない落ちではあります。

拝金主義とこれに対する反発は、最近のブログでも話題となっております。つまり、ブログでいくら稼いだなどと自慢するブログに反発する記事に最近ちょくちょくお目にかかります。稼ぐという行為に対する反発もわからなくはありませんが、他人が稼ぐことは温かく見守ってやったらよいのではなかろうか、などと私は思ってしまうのですが。