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意地ではないけど仮想通貨には手を出しません

「『意地でも仮想通貨というギャンブルには手を出さない!』という愚かな人々について。」というエントリーをイケハヤ師があげております。私も仮想通貨には手を出さないのだけど、愚か者扱いされてしまいますと、一言言いたくもなります。

上記エントリーの中で、イケハヤ師は、GoogleやSNSに言及して、これらの黎明期にはほとんどの人が価値を認めていなかったではないか、と主張するのですね。

実はこれらのネット関連企業も、今日の仮想通貨バブルのような時代があったのですが、イケハヤ師はこのあたりのことを完全にお忘れの様子です。

その名も「dot-com bubble(ドットコム・バブル)」と呼ばれますこのバブル、世紀末の一時期にネット関連企業が続々と設立されて株式を公開し、関連企業の株が値を飛ばすという、ほとんど今日の仮想通貨をめぐる動きと瓜二つの現象が起こったのですね。

もちろん、GoogleやAmazon等もその一員ではあったわけで、全てがすべて泡と消えたわけではありません。でも、そこに投じられた資金のほとんどは、泡と消えてしまいました。

今日の仮想通貨に関連して投じられた資金の大部分も、おそらくは、同じ運命をたどるであろうということは、かなりの高確率で指摘できるでしょう。

とはいえ、投資する立場から言えば、仮にそれがバブルだろうとギャンブルであろうと、全然問題はありません。要は、先が読め、利益が得られるという読みさえあれば、よほど倫理的な問題がない限り投資の対象として考えられないわけではないのですね。

仮想通貨に関しては、問題は先が読めないこと。バブルがバブルであると断言できるなら売りから入ればよいのですが、なにぶん技術的に面白い部分があるだけに、売ることすらできない。ここは指をくわえてみているしかありません。

まあ、現在の仮想通貨の値動きをみれば、売りは難しいという技術的な問題もあるのですが、、、

そもそも投資というのは、最も有利なものを選んで手掛ければよいのであって、利益が出るものの全てに投資しなくちゃいけない理由は何もない。

一般論として言えば、競合環境の中で投資対象を選ぶのであれば、おのれの得意とする分野に投資すればよい

よくわからないものに投資することだけは避けなくちゃいけません。

「不勉強」などとdisられなくちゃいけない理由は何もない。

己の得意とするところを徹底的に磨く。それが成功の鍵だと思いますよ。