水島宏明氏の4/3付けBLOGOS記事「新型コロナから自分を守るため発表データをどう読み取るか?玉川徹が試みた『データ・ジャーナリズム』」にコメントしました。
韓国がどうのということはわきにおいても、データの公開は必要でしょう。そして、各自が感染リスクの有無を判定して、危ないと思ったら検査を受けるようにする。濃厚接触者が申し出てきた場合は、症状の有無にかかわらず検査をしなくてはいけません。
これまでは、検査数を増やすと、医療崩壊を招くなどという恐れもありましたが、ホテルや体育館などを利用した隔離設備の数が整えば、多数の無症状の感染者や軽症患者の受け入れが可能になる。
隔離施設の整備と並行して、検査対象の拡大をしていくことが、この問題の終焉につながるのでしょう。
検査対象の拡大は、感染者が発生した際に、近くにいた人を対象とするだけでなく、それが学生なら同じ教室を共にした人からキャンパスの学生全体に拡大するなど、会社なら、直接会話した人から、同じオフィスの人、同じフロア―全体、事業所全体と拡大すればよい。
これは、その感染者からの感染を漏らさず発見するという意味があることはもちろんなのですが、その他の無症状感染者を検出するという意味もあるのですね。
我が国がこれまで検査数を制限してきたのはクラスター対策が十分にできていたことも一つの理由になるのですが、感染者が増加するとこれもママらなくなるのは時間の問題。それ以前に、感染者拡大を抑制する手を打つ必要があるのですね。
そのためには、フリーに街を出歩いている感染者を見つけ出して隔離すること。検査の拡大も、また、避けて通れない道なのですね。
ここは、事態の変化に応じた柔軟な対応を心がけるのが良いはずです。